酒やめてから「布団の外にあるもろもろ」に立ち向かう勇気を得た件。

酒やめて、1460日。

アル中の朝は「絶望」以外の何物でもなかった……

酒やめて、明日でまる4年になりますけれども、やめてよかったとしみじみ実感するのは朝ですねー。

今朝も気力横溢とまではいかないですけれども、アラームが鳴ってすぐ普通に起きることができました。起きたのは5時45分で、そこから仕事を始め、午前中には終わってしまったので(てか午前中が納期だった)シャワー浴びて、今ブログを書いている次第です。

もし起き抜けに、な~んかやる気が出ないなあ、と感じたとしても、プランクをやれば頭がしゃっきりすることを成功体験(大げさ)として学習していますので、それをやればいいだけです。やはり断酒+筋トレは、生活を一変させる力を持っています。

逆に言えば、飲酒時代は365日普通に起きることが出来ませんでした。

それは、よくある、あ~二日酔いつれえええええといった、そんなあまっちょろいレベルのものではなかったですね。

二日酔いが辛い頭痛いもう酒なんか飲むもんかなあー!などとよく聞きますけれども、アル中あるいはアルコール依存症の朝は、そういうものともまたちょっと違うのです。威張ることじゃないですが。

いつも書いていて恐縮ですが、とにかく自分という存在が世の中に出ていくこと、起床してから我が身に降りかかるであろういろんなことと対峙する、そのエネルギーの源泉というものがまったくないのです。まさに、このまま布団の中で消えいってしまいたいという感じでした。

断酒してから勉強したんですが、これは肝臓がアルコール分解で超絶御多忙で、幸せ物質であるセロトニンを脳内にもたらすための物質をつくっていられない状態になるらしいのですね。まあ、そんなふうに理屈がわかると少しは安心(?)もしますけど、そのときは、まさに絶望絶望絶望でした。

で、そういうときに思っていたですよ。あーキンミヤ(甲類焼酎)をストロングゼロで割ってくーっと飲めば何とか起きる勇気が湧いてくるなあ、と。そして人に会う用事がないときなどはほんとに冷蔵庫まで這うようにして行ってそうしていました。

「布団の外」のさまざまな問題にとにかく向き合おうと

実は私の好きな探偵小説の探偵役がやっている起床方法は「アサヒの黒生のトマトジュース割りのトマトジュース抜き」を飲むことです。かっこいいです。私もその顰に習っていた部分もあるんですが、まあそんなハードボイルドなもんじゃなくて、まったくもってハードモードな気持ちを克服するためのものでした。とにかく酒なしでは何もできないと自分で思い込んでいたのです。

そうなのですよ、酒って、いつも書いてますけれども、まるで意思を持っていように、それを常飲する人間の心理にマッチポンプ状態をつくり出します。つまり酒によって絶望的な気分にさせられているというのにその絶望から脱するには酒が必要だと思い込ませるのですよ。あたかも脳に寄生する虫のようです(参考「アルコールとトキソプラズマの「支配」は同じだという件」)。

で、酒やめると、そのマッチポンプの「輪廻」から解脱し、酒なしでも世の中に出ていく勇気、仕事をしようという勇気が出てくるのがほんとに大きいと思いますね。生理学的にいえばセロトニンがちゃんと生成されて、ということになるんでしょうけれども。ともあれ「布団の外」にはいろいろ解決しなければならない問題がありますけれども、まずそれに向き合おうという気になります。

そしてそのベースには、断酒者特有の「諦観」があります。

つまりですね、こういうことだと思うのですよ。起きてしまえばやらなきゃいけないことはわさわさやってくるけど、酒さえ飲んでなければ、とりあえずそれに向き合おうという勇気が湧いてくる。そして、問題を解決するための方策を立ててやろうという自信もまた、断酒の過程で身に付いている。で、実際には上手くいくかどうかはわからないけど、別に上手くいかなくたって死ぬわけじゃないという「諦観」がある。そのある種の気楽さが、勇気と自信をもたらしてくれるっていう感じですかね。上手く言えませんけれども。

とにかく「布団の外にあるもろもろ」に立ち向かっていける何らかの力を持てているだけでも、酒やめた甲斐はあったかと。

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