【メメント・モリその2】飲んだくれてると、まともな死に方もできないという当たり前の事実にようやく気付いた次第です。

酒やめて、2062日。

ホイチョイプロダクションズ『南青山クラスライフ2』より

プッツン系の死に方はクラッシーじゃない!?

がんの疑いがある腫瘍が発覚し、実は明後日、摘出手術を受けます。なので、もしかしたらこのブログもしばらく更新できないかもしれません。どうぞ見捨てないで生あたたかく見守ってやってください(汗)。

そんなわけでここのところ、死ぬ死ぬ詐欺ぽいブログ内容になっていて大変申し訳ないのですが、ただ今回のことで人生で初めてと言っていいかもしれません、死ということについて結構真剣に考えたりもしました(メメント・モリ?)。

私たちよりも上の世代にとっての必読の書とされるものに『人間の死にかた』という、中野好夫先生の著作があります。古今東西の偉人の死にざまについて書かれたものです。

ただ私はバブルちょい前世代なので、「死にかた」というと、ホイチョイプロダクションズ(本日国葬の安倍元首相とは成蹊学園で同級生だったとか)の『南青山クラスライフ2』に紹介された「死にかた」を思い出してしまうのですよ。以下のようなものです。

死因は、やはり心臓病系がクラッシーだな。外国の旅行先で倒れれば申し分ない。逆にクラスが低いのは、脳卒中、脳溢血などのプッツン系の病気だ。但し、同じプッツン系でも、クモ膜下出血は比較的クラッシーと言える。

癌は、肺・肝臓・膵臓系はいいが、胃や腸はいかん。チフス、コレラ、マラリアはもっての外だ。自殺も下品だな。

(引用前掲書)

今はコロナもあり「外国の旅行先で倒れれば申し分ない」はどうなのかな、といったところでしょうが、ただもしそうなっても遺体を運んだりするのは通常の保険ではカバーしきれないケースもあるらしいので、まあセレブにしかできない死に方でしょうね。

普通の死に方ができること確定!?

さて、私がTwitter上で勝手に断酒仲間認定させていただいてる「ダメリーマン斉藤」さんは、「ガンで死ぬのは普通の人」といったことをツイートしています(参考「飲んだくれの人生だと、死んだ後に「酒」でしか記憶されない!?」)。そう、がんで死ぬということは、普通の人が普通に死ねることです。いわゆる終活も十分に行うことができます。だからみんな、がんで死にたいと言うのですね。

これに対してプッツン系で死ぬとなると死ぬ準備ができず、また死なずに後遺症が残る恐れがあります。交通事故などのアクシデント系もそうです。そしてアル中やアル依、そこまで行かなくても飲酒習慣があると、プッツンやアクシデントで死ぬリスクがめっちゃ高まるわけですよ。

でもって私ですが、まず当然のことながら飲酒時代はそういうリスクが大きかった。それが今回、がんの疑いがあるということで、たとえ良性だったにせよ、そして切除していったんは治ったにせよ、今後、がんで死ぬ可能性は高まったと言えるでしょう。それにうちは、母も、父方の祖父母も、母方の祖父もがんで死んでいますし、父の妹二人は存命ですが、がん発症の経験があります。いわゆるがん家系というやつです。

そこへもってきて酒をやめているので、プッツン系死亡、アクシデント系死亡の可能性は減ってる。つまり普通の死に方ができる可能性が非常に高い。それがいつになるのかわからないけど、やっぱり酒をやめるとことは「死にかた」ということを取ってみても「普通に近づく」ことなのだなあと、しみじみ考えるわけでございます。

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