飲んだくれの人生だと、死んだ後に「酒」でしか記憶されない!?

酒やめて、1336日。

がんで死ねるのは幸せだという考え方

大昔、ホイチョイプロダクションズが、雑誌に『南青山クラスライフ』といううんちく漫画を掲載していて(単行本にはなっていないようです)、そのコンテンツの一つに「お嬢様の一生」というものがありました。愛育病院か山王病院で生まれて双樹会とか伸芽会などに通い……というやつですね。死ぬときは虎の門病院が最上なんだそうです。また死に方にもランキングがあって、たとえばがんだと胃腸などの消化器系よりも肺がんの方がクラッシーである、みたいな分析がなされていました。どういう理屈でそうなるのか、よく分かりませんが。

そういえば私がTwitter上で勝手に断酒仲間認定させていただいてるダメリーマンの斉藤さんは、「ガンで死ぬのは(アル中以外の)普通の人」といったことをツイートしてましたね。

つまり、がんで死ぬことができるのは、まあ波乱のない人生を送ったということになるのかもしれません。

がんは高齢ほど罹患リスクが高くなります。そして@ダメリーマン斉藤さんによれば、飲酒が過ぎれば、その前に何らかのかたちで死ぬのです。アル中は、普通の人なみに「がんになること」すらできないのですね(肝硬変→肝がんは除く)。ホイチョイプロダクションズは冒頭の著作のなかで、プッツン系の病気は品がないと主張していましたが、そのプッツン系、つまり脳卒中や脳梗塞で死ぬ可能性が一般人よりもかなり高くなるでしょう。もちろん交通事故などのアクシデントで死ぬ確率も飛躍的に高くなります。当然ながらこっちも品がよくないです。

そしてそうした場合、周囲の人には「酒で死んだ」というふうに記憶されるわけですよ。

死に方と生き方は断ちがたく結びついている!?

ここのところ、芸能人の自殺が相次いでますけれども、やはり「自殺」として記憶されます。ただし芸能人の場合、その芸能活動の中での苦しみというふうにも捉えられ、その人の芸術性と結び付けられるのかもしれません。創作者の場合はもっと顕著で、太宰や三島がその典型ですよね。

でも一般人の場合、自殺してしまうと、それがそれまでの人生以上に記憶されるのです。酒起因で死んだ場合も同じです。

私などもまったくそうで、飲酒時代は酒起因の死に方をしても不思議はなかったですし、戒名に「酒」という字を入れられるんじゃないかというくらいの勢いでした。

もちろん自分が死んだ後のことなどどうでもいいという考え方もあるのかもしれませんけれども、できれば周りの人には、普通の人生を生きたよねというふうに記憶されたいものです。ただし酒に溺れた人生だと、人生を酒に支配されてしまうのはもちろん、周囲の人の記憶、つまり死んだ後の自分に対する評価も酒に支配されてしまうのですね。

そんなことを畏れるのも、私の場合、断酒のモチベーションになっています。

虎は死して革を残すなどと言いますが、酒飲み死して酒の記憶を周囲に残すではシャレになりませんから。

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