「世界で一つだけの花」になるとは、酒やめて執着心から解脱すること!?

酒やめて、1109日。

連日のマッキー話題で恐縮ですが、マッキーの代表曲の「世界で一つだけの花」がふたたび注目を集めています。平成ナンバーワンヒットなのだとか。そういえばあの曲が流行っていた当時、素晴らしい曲があるということで保護者会か何かで強制的に合唱させられた記憶があります。「♪もともと特別なオンリーワン」という曲を同調圧力で歌わされるとか、ずいぶんと皮肉なことです(笑)。

悟りを開くのは難しい!?

そう考えると、学校で「世界で一つだけの花」を合唱の課題曲にするのもおかしいし、ついでに言えば『五体不満足』を課題図書として半ば強制的に読ませるのも、著作の趣旨にまったく合ってないと思います。

それはともかく「世界で一つだけの花」ですが、お釈迦様が生まれた時に言ったとされる「天上天下唯我独尊」から来ているそうです。

しかし、これもおかしな話ですよね。もう生まれた時に悟りを開いていたということじゃないですか。にもかかわらず、お釈迦様は悟りを開くために修行の旅に出た。まあ私のような者が、お釈迦様の言行に異を唱えるのも、それこそ変ですが。

ただ、鯨統一郎先生の『新・世界の七不思議』によれば、お釈迦様には、実は悟りを開いてないんじゃないの疑惑もあるそうです。『新・世界の七不思議』はミステリー小説ですが、様々な文献を用いた実証小説でもあるので、かなりの説得力を持ちます。

まあそれぐらい悟りを開くのは難しいということですよね。だから逆説的に、生まれたときにすでに悟りを開いていたという、唯我独尊伝説が生まれたのかもしれません。

さてそもそも何でお釈迦様が悟りを開こうと思ったかといえば、四苦八苦と呼ばれる世の中のいろんな苦しみから脱するためです。厳密に言えば、輪廻からの解脱ということになるのでしょうが、そのあたりを説明しだすと……というか、説明できるほどの知識はないので省きます。ではなぜ苦しむのかといえば、執着心があるからです。生に執着するから死を苦しいものととらえる……と極端にいえばそういうことになります。

断酒もひとつの解脱方法です

そ、そんな……生に執着するのは当たり前やん……と、一般人からすればそうなのですが、じゃあ別離の苦しみは何から生まれるかというと相手に対する過剰な愛情があるから……と説明されると、ああなるほど、それが執着なんだなとなんだか納得できます。

そして、前にも書きました(参考「「大切なことなんてなんにもない」って、あの野宮真貴様も言ってるじゃないか」)が、酒をやめると不思議なことにこの執着心というものが薄くなっていくのですね。だから世の中のいろんな苦しみから解脱できます。

これが、偉そうに言わせてもらえば「酒はやめた。だからもうこわくない」状態です。

そして実はこの執着心からの離脱たるや、ハンパなく気持ちが良いものなのです。世の中の諸々に対して、なんというか優越感が持てる。優越感が持てるということは、自信をかもしてくれることでもあります。

酒やめると、自分を「唯我独尊」の状態、「世界でひとつだけの花」とマジ思えるようになるのです。

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