酒やめて、1110日。
三連続のマッキー話で恐縮です。あまりにも象徴的なものですから。
美意識高いからドラッグに手を出す!?
なぜマッキーはじめいわゆるアーティストと呼ばれる人たちが、違法ドラッグに手を出してしまうのか。もちろんプレッシャーもあるのでしょうが、それと関連して、本人の美意識が高すぎるということが挙げられるのではないかと思います。
自分が思い描いているレベルがあってそこになかなか到達できない。イメージと実践のギャップが大きすぎて、そこを埋めるためにドラッグを使う。そうすればそのイメージの高みにまで到達できるといった心理が働くのではないかと、考察する次第です。産みの苦しみを和らげるためとも言えそうですね。
この辺のところは、一般人のアル中にもなんとなくわかるのですよ。おまえに天才の気持ちがわかってたまるかなどという声も聞こえそうですが(笑)。
というのはですね、アル中もまあ美意識が高いというか、自分に対して思い描いているところがあるわけです。期待してる部分は確かにあるんです。しかし現実は、酒を飲み過ぎることもあり、それとはまったく乖離している。ですからそこを埋めるためにさらに酒を飲む。これは逃げるということでもあります。自分の美意識と乖離している自分を見たくないがために酒を飲むわけですね。
断酒すると生まれる圧倒的なセルフエスティーム!
いつぞや話題にした(参考「メンタル弱い人ほど断酒に成功するという超理論が発見されたぞ!」)、太宰治先生の『人間失格』などは、まさに自分と向き合いたくない物語、自分から逃げている物語と言えるかもしれません。またしても、おまえに天才の気持ちなんかわかってたまるかという声が聞こえそうですが(笑)。
ただですね、酒をやめると、そんな見たくなかったはずの自分にきちんと向き合えるようになれるから不思議です。
なぜでしょうか。一つにはこれも以前書いた通り(参考「セルフエスティームをアップさせるための、一番簡単な方法」)圧倒的にセルフエスティームが高まるので、美意識に自分の実態も近づいたような気がするということがあるでしょう。
もう一つは、そもそもそうした美意識などどうでもよくなってしまうのですね。価値観が相対的になる(参考「「大切なことなんてなんにもない」って、あの野宮真貴様も言ってるじゃないか」)。脳の構造上そうなるとしか思えないのですが、もちろんナンバーワンじゃなくてもいいし、またオンリーワンでなくてもいい。そんなふうに自分を規定することさえ馬鹿馬鹿しくなるんです。不思議なことに。
そしてそうしたゆったりとした気分が自分と向き合うことを可能にし、そうすると自分の改善点も分かり、それを圧倒的なセルフエスティームで克服していくのですから、人生が上向きにならないわけがない! てな構造になるのではないかと。
仮説ですけど、自分に照らしてもそんなに間違ってないと思われます。