酒やめて、2008日。
危険な宗教は承認要求を満たしたい心にすっと入って来る
安倍さんの一件で統一教会問題が再びクローズアップされていますが、その下部組織として大学内で活動を行っている原理研があることはよく知られています。
この原理研、私が大学生の時代も当然のようにありましたが、やっぱりアイデンティティが確立できていない学生の心にすっと入り込んでくる類のものだったと思います。今は若干違うのでしょうけど、私たちの世代の大学生の場合、「大学に入ればいくらでも遊べる」を餌にそれまではわりに勉強ばかりしていたのですね。そして良い成績を取って教員や周囲に認められれば、それで承認要求が満たされる構図になっていました。ところが大学に入ると、そういう評価軸が失われ、自分を満たしてくれるものが消失してしまう。危険な宗教や思想は、そこに入り込んでくるというかたちです。
以前も書いたことがありますが、この承認要求を満たしたいという欲望は、そこにつけこまれやすいということですよね(参考「すべての不幸は承認要求から始まる。でもって酒やめると、他者の承認なんて必要なくなるから不思議です」)。ジジイが若いねーちゃんに引っかかるのも同じです。まあジジイの場合、自業自得でしょうが、新入学生の場合、非常に無防備で危険です。
ともあれ、人は自分を認めてもらう仕組みを必要とします。ただし、そこにはリスクがあり、下手すると人生を失ってしまうことにもなりかねません。
自分で自分を承認できるのだ!
じゃあどうすればいいか。その点においても、実は断酒最強であると言いたいのであります。断酒は承認要求を満たしてくれると同時に、当然ながらまったく無害であり、それどころか人生に良い影響を与えます。というふうに「惹句」を書き並べると宗教っぽいですね(苦笑)。実際、断酒教と断じて来る自称適正飲酒者もいますが、あなたのこと、別に「勧誘」してませんから。好きなだけ「適正飲酒」していてください、てなもんです。
それはともかく、そもそも承認要求というものは非常につけこまれやすい。だから危険な宗教に走ったり、しょうもないコミュニティに属してしまったりする。そこでそのなかで感動したり泣いたりしてるうちに洗脳されしまうというパターンですよね。
そこへいくと断酒の場合、勧誘するわけではないです。断酒者は他者に酒やめるといいぞおおおおとか言いません。訊かれれば、まあ気持ちいいです、と答えるだけです。思うに、他者の飲酒にいろいろ言いたがるのは、断酒している人間でもなく、もともと飲まない人間でもなく、ましてやアル中でもなく、先に挙げたような自称・適正飲酒者です。
ともあれ、断酒者は他人にとやかく言うことはないし、アピールもしないけど、ただ、その分、断酒している自分を自分で認めてあげている。
これって、一流のスポーツ選手と同じだと思うのですよ。たとえばまあ一緒にするのもナンですが(汗)、たとえば大谷翔平さんは誰に評価されたって嬉しくないでしょうし、承認要求は満たされないと思うのですよ。あのレベルだと、一番厳しい評価者である自分の要求に応えてこそ満たされるってものでしょう。いや、知らんけど。
で、思い切って言ってしまえば、実は断酒者もそのレベルなのでありますよ(笑)。だからこそ、承認要求を満たす最高の方法は断酒であると言いたいのでありました。大谷さんが最高の野球選手と同じ地平において(そうなのか?)。
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