「金も暇もないし何にもできん。できることといったら酒飲むくらいだ」←これの人生破壊力

酒やめて、2254日。

「あー、俺に金と暇があったらなあ」←コレ

2個前のエントリーで、人気YouTube番組である西園寺チャンネルの話をさせていただきました(参考「「作業量しか勝たん」時代において、飲酒ってどうなのよという話」)。「経験」をICT+作業量ベースで発信し「飯のタネ」にすることは、多くの人が目指しているところでもあります。YouTubeに限らずブログでも同様ですし、私もそうです(できてないが泣)。

だから「経験」することは、SNS発信も含めてですけれども、その価値がとても大きくなっていて、今は誰もがそれを感じていることでしょう。

一方で、こんなことを言う人がいます。

あー、俺に金と暇があったらなあ、〇〇するのになあ。

私の周りにもいますが、年中言っている気がします。

一般論として反論(?)すれば、金と暇が出来るのを待っていたら、いつまでも経験できないということは、まずあるでしょう。今、成功しているユーチュバーにしても、最初は見切り発車で経験を積んでいったのだと推測します。

「15分あったら観光を始める」←コレ

そして「あー、俺に金と暇が……」と言っている人でも、まあ、なんというか、酒だけは飲んでいるわけですよ。飲酒は一番手軽なレジャーであり「何かすること」です。ただし酒ばっかり飲んでいると、経験が酒だけになるという話はこのブログでも度々書かせていただいています(参考「酒ばっか飲んでると、行く店もモノラルになり経験値が低くなっちゃうよ!」)。むろん私もそうでした。

いや、ほんとにアル中時代を思い起こすと、その時代「何」をやっていたかと問われれば「酒飲んでいた」としか言いようがないのですわ。飲酒するのもコスパ優先でほぼ一軒のせんべろしか行ってなかったので、その時代の「思い出のシーン」といえば、線路脇の立ち飲みせんべろから眺める銀色に黄色と茶色の帯を巻いた電車とそのインバーターの音だけ、だったりするところが、今考えれば、非常に恐ろしいところではあります。

そしてその対極にあるのが、同じ電車がらみでも、昨日紹介しました西園寺さんの「旅行オタは15分があったら観光する」でしょう。実際にそうするというよりも、コンセプトとしてそういうことなっているんでしょうけど。

むろん「15分あったら……」は観光に限らず、すべてに通じるものであり、私の場合、超絶遅まきながら、酒やめてようやく気づいた次第ではあります。

ともあれ、飲酒というものはそれを行うにあたって何の努力も必要もない「経験」であり、そしてその入り口のハードルが非常に低い。とにかく世の中の「経験」のなかで、いちばん安直です。

だから飲酒に走ると、本当の意味での経験、自分の人生を切り拓いていく――たとえばそれを発信し飯のタネにすることができるような経験が、どんどん遠のいていくところの怖さを、ここであらためて訴えたいのであります。

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