酒やめて、2244日。
はてしてアル中は「不治の病」なのか
山口達也さんが、自身の会社を立ち上げ活動再開するようです(参照「山口達也氏が「株式会社山口達也」を設立 アルコール依存症は「完治しないと医師に宣告されました」」)。山口さんについては、このブログでも以前取り上げさせていただいてます(参考「山口達也容疑者の一件に見る、「飲酒運転」ではなく「酒飲み」に対する世間の目の厳しさ」)。
山口さんの場合、断酒を続けている自分の生き様を一つの「金看板」にして活動していこうというわけですよね。これハリウッドセレブにも見られるものです。
その山口さんの活動再開を伝えるメディアは、「アルコール依存症は完治しない」「一生一口も飲まない」とヘッドラインなどに謳っています。このことについては、いろんな意見や見解があるでしょうが、「一生」という言葉はインパクトが強いので、煽るのが仕事のメディアは使いたくなるのでしょう。
そしてそれを聞きかじった自称・適正飲酒者などが、「(元アル中の)お前はもう一生飲めない。飲んだら終わり」などと無意味なマウントを取ってきたりもしますが、ただ「アル中は不治の病で一生飲まないことが唯一の治療法」が掛け値なしの真実だとしても、一生飲まないという処方箋があるのは、ある意味幸せなことだと思いますよ。
たとえば、末期がんなどは処方箋がないわけじゃないですか。それに比べれば不治の病とはいえ処方箋があるのは、本当にありがたいことです。
私は三年前に母をがんで亡くしましたし、また自分自身も昨年、がんの疑いがあり余命半年と言われたので、飲まないだけでいいとは、なんと幸せなことかとあらためて感じます。
「一生飲めない」アドバンテージはめちゃ大きいですよ
同時に「一生飲まない」は、生き方としても処方箋にもなるところが大きいと思います。
その伝でいけば、先の自称・適正飲酒者などは、かわいそうな存在なのですよ。処方箋がないから。
自称・適正飲酒者は「お前はもう一生飲めない。飲んだら終わり」「俺は楽しく飲める」あるいは「俺はいつでもやめられる」と言いながら、飲んでいるわけです。そしてそのようにマウント取ってくるということは、本人は酒飲むことにこだわりがあるわけですよね。余計なお世話ながら。
それで上手くいって人生逃げ切れるかもしれないし、あるいはだんだん社会的な信用を失っていくかもしれない。茹で蛙のように。そういうケースもあるでしょう(参考「酒に溺れると、破滅に至るまでの「前段階」があるからむしろ怖いんですよという話」)。そしてそういうタイプの「没落」については、処方箋がないのです。かえすがえすも余計なお世話ながら。
そんなこんなで、断酒者が「一生飲まない」という処方箋を手に入れていることは、激動の時代を生きていくのに大きなアドバンテージともいえ、なおかつその処方箋は、私のようなものでも実践可能、なんの才能も必要ないところが非常に優れた点だと考える次第であります。
カテゴリ別インデックスページはこちらです。