酒やめて、2102日。
「酒飲んで気づいたら朝」のなんと愚かなことよ
先日、十数年ぶりかに会った従兄弟と話しておりまして、酒やめて何かいいことあったのかと訊かれたので、やっぱ時間だよねーと(エラソーに)言ったら、しみじみ納得しておりました、酒飲みながら。思い当たる節があるのでしょう。
時間が持てるということは、酒やめた効用として現役の飲酒者にも納得が得られる部分ではあります。そういえば腫瘍を切ってくれたお医者さんにも同じような話をしまして(このときは当然、謙虚に)、やっぱり納得したような顔をしてくれておりました。医者はめちゃ多忙なので、納得する部分も大きいのではないかと勝手に推測しています。
ともあれ、酒やめたら膨大な時間が生まれるとは多くの断酒者が感じているところでしょうが、私の場合、やっぱりひとしお感があります。というのは、飲酒時代は夕方から飲み始めたとして(仕事がない時は昼からですが)、まあ気持ちよく酔っ払うわけですよ――で、気づいたら朝、というパターンでした。「夜の時間」がまったくなかったのです。
外で飲む場合、誰かと一緒のときはわけのわからん話をして、それもたいてい覚えてなくて、一人のときはひたすらせんべろのカウンターで酒を飲み、深夜営業の古着屋で、これまたわけのわからん衣料を買ったり(もちろん覚えてない)していました。
家で飲む場合は飲みながら何をするかというと、MLBの結果のわかっている録画を観たり、あるいはロールプレイングゲームの経営の部分をやったりと、まあしらふじゃ到底できそうもないことをこなして(?)いました。考えてみればテレビを視るなんてことも、あまりにもコンテンツのレベルが低いのでしらふじゃ到底できないですよね。ともあれ、ホント―に人生に一ミリも役に立たないことをやっていました。毎日、数時間にわたって。
「自分の時間」があるとは、なんと意義深いことよ
でもって今はといえば、その飲むがゆえに「消える時間」がなく、これがそのまま5~6時間程度、まるまる使えるのはめっちゃ大きいですよ。
いつも書いていますけれども「仕事で疲れた酒でも飲もう」では、仕事と酒だけの人生で自分の時間が持てない人生構造になりますが、ことここに至ってようやく自分の時間が現出したというわけです。ありがたいというか、これまでいかに愚かしかったかというか。
そしてその「長い夜」で、本を読んだり仕事の準備の調べ事をしたり、家の中の改造をちょこちょこしたり、ブログを書いたりSNSをやったり、みたいな感じなのですけれども、このようなヒッキー&自分の時間が持てることにしみじみ幸せを感じてしまいますよ。もちろんTwitter上の断酒仲間を見ると勉強してる方も多くいらっしゃって、そういうことなんだなと思います。この辺で差が生まれるのだろうと。
私はジジイなのでなかなかそこまではいかないところが辛いところですが、そう考えると、若ければ若いほど断酒ということが効いてくるわけですよね。
でもって大変余計なお世話ながら……の話をすれば――。よく忙しすぎて自分の時間が持てないから会社辞めるとか転職する、みたいな人がいますよね。もちろん、ゆるワー+収入源多角化の時代ですから生き方としてありなのですが、ただもし酒を飲んでいる場合、まずは本当に自分の時間がないのかどうか、酒をやめてから考えるというのも一つの手ではないか、と。かえすがえすも余計なお世話ながら。
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