酒を飲んで嫌なことを忘れるか、そもそも嫌なことに出会わないような人生にするか。

酒やめて、1650日。

もう嫌なことはしなくていい時代になっている!?

酒をやめてしみじみ思うのは、快適主義者になったということです。逆に言えば、酒を飲んでいる時代は快楽主義者でした。楽しいのはどっちかと聞かれれば、あるいは後者なのかもしれません。ただし酒をやめた今は心穏やかかつストレスなく暮らせていますし、そのほうが価値あるものと確信しています。そんなふうな考えをするように、脳が変質してきたのかもしれません。ともあれ今は、快適に過ごすことが人生の至上課題になっています。

そしてこうした指向は今や、酒を飲む飲まないに関わらず、すべての人に通じるものではないでしょうか。もう時代や社会風潮あるいは社会構造が、嫌なことはしなくていいというふうになっているようにも見えます。

昔は確かに、人生において嫌なことを経験する必要があり、それが人間的な成長を促すという側面もありました。対人経験というものが非常に重要だったからです。ただ、今は、必ずしもそうとは言えなくなっています。「まだ無駄に消耗しているの」理論(?)がときに揶揄の対象になったりしますけれども、これは理に適ったことだと思います。私も飲酒時代は揶揄しているクチでしたが、今はすごくよくわかるのです。

対人関係はじめ嫌なことに無駄なエネルギーを使うのなら、それを他のことに振り向けたほうがいい。そして飲酒をやめるとこれが可能になるということを言いたいのでありますよ。

酒やめて、快楽とストレスの輪廻から解脱できた!?

嫌なこと=ストレスと規定するのであれば、人間のストレスの大半は対人関係で生まれます。そして酒をやめると、ストレスの対象になる人間との付き合いが、酒を介したものであるケースが多いことがわかってきます。

今、このコロナ禍でも明らかになったように、そして同時にICTの普及もあって、「対人」というもののプレゼンスが低下している。そこへもってきて酒をやめると、なおさらそこから離れられ、したがってストレス要因からも遠ざかる――と、そんなに単純なものでもないでしょうが、原則としてはそうなります。

後は、酒やめると生活がミニマムになりますので、私のようなフリーランスの場合、それほど稼がなくてもよくなります。やっぱり稼ごうと思うとストレスが溜まりますから、それをしなくてもいいというのは大きいです。これも置かれた立場で様々でしょうが、そういう傾向はあると思います。

要は、快楽主義に代表されるようにマックスの楽しさを追求しようとすると、仕事もしゃかりきにしなくてはならず、それに伴いストレスが溜まり、酒を飲みたくなるという循環に陥ってしまうのです。いや、もちろんそうした人生を追求するのであればそれもありだと思いますし、私もそうやってきました。ただ、今は、快楽追求と表裏一体となったストレスの輪廻から解脱し、快適主義に移行したと言えます。酒をやめるとはそういう意味もあるんだなあとしみじみ感じております。

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