断酒は、人生のすべての行動のなかで、もっとも見返りが大きいものだという確信。

酒やめて、2000日。

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気を遣ったり仕事がんばったりは、コスパ悪いのだ

一昨日、「「好きなことやらせてもらおうもん」の夏にしますわ」といったことを書かせていただきました。本日もそれに関連したテーマ(?)なのですが、本日、酒やめて2000日に到達しました。なので、多少はお役に立てるというか意義あることを書かねばならぬと気負っております。

意義あることとは、断酒という行為はかなりコスパがいい……というと変ですが、人生のあらゆるトライアルの中で、その労苦に比べてもたらされるものが一番といっていいほど大きいのではないか、ということです。もちろんそれは断酒業界(?)では定説で何を今さらなのですが、ただ私なりの考えを以下述べたいと思います。

話の順序として断酒以外のことを考えてみます。一昨日、酒やめたんだから、もう好きなように生きさせてもらうという決意表明したと書きました。人に気を遣ったり無駄なパワーを仕事に注ぎ込むのをやめるということです。身勝手と言えば身勝手なのですが、たとえば人間関係において必要以上に気を遣ったりとか、仕事を必要以上に頑張るということはパフォーマンスがヒジョーに悪いわけですよ。大体周囲はそんな努力(?)なんぞ見ていませんし、それに対して評価してくれることも当然ありません。仕事なんてマジがんばっても認められませんもんねー。私の場合(悲)。馬鹿馬鹿しいですよ。

だから人間関係も仕事も適当にやればいいんだと今、今さらながら思っております。

断酒の見返りは、「定年まで勤めあげ」に匹敵する!?

で、そうした人生の努力(?)に引き換え、断酒はものすごーく見返りが大きな行為です。いつも言っていますが、時間が湧いてくるお金が湧いてくる気力が湧いてくることをまず大前提として、さらに「好きなことをやらせてもらおうもん」という心根を手に入れることができる。めちゃお得です。

酒を飲んでいた時代は、好きな酒を飲む代わりにいろいろ犠牲にしていましたが、好き勝手にやっていたわけですよ。飲酒時代は飲酒時代で。

でもって、ここからが重要なのですが、酒やめてから好きなことやらせてもらおうもんと「宣言」すると、なんとなく周囲もそうだねーもう好きにしなさいよー、となるのです。

でも考えてみれば、飲んだくれいて好きなようにやって、そして周りにも迷惑をかけていたのですよ。それが酒やめたくらいで、「好きなことやらせてもらおうもん」で周囲の納得も得られる。以前、こういう身勝手なブログ(参考「酒やめて、まる5年。あれだけ好きなお酒をやめたんだから、後は好きなことしてもよかろーもん(←これ)」)を書いたら、断酒友が評価してくれて、これはまったく過分にして汗顔なことだと思います。

たとえば、お父さんは会社を定年まで勤めあげて、二人の子どもを大学にやって、一軒家のローンも払い終わり、ということであれば、好きなことやらせてもらってよかろうもんになってまったく不思議はありません。ただ、断酒したくらいで同じことができるのだから、こりゃめちゃコスパというか努力対効果がデカい行為だと、あらためて考える次第であります。

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