酒やめると、普通の金銭感覚が戻ってくるのも大きいよね、という話。

酒やめて、1980日。

spending

本当に「するする」とお金が出て行くのだった

酒の時間強奪能力、エネルギー強奪能力、そして金銭強奪能力はものすごい、という話はいつも書かせていただいております。いやしかし、今あらためて思うのは、酒飲んでいた時代は本当に「するする」といった表現がぴったりとくるような案配で、お金が財布から出て行っていました。

私の場合一回に使う金額など、たかが知れたものです。飲むのはせんべろですから。ただそれにしても毎度毎度二千円から三千円程度(せんべろといっても「べろ」になろうと思えばやっぱりこれくらい遣ってしまう)のお金をまったく無抵抗に、繰り返しますが「するする」と財布から出していたのは、今思えば烏滸の沙汰ですよ。細かい点ですが、せんべろというのはカードが使えないお店も多かったので、物理的にも「するする」と財布から、でした。

なぜ今、こんなことを思うかというと、メルカリです。メルカリで何かものを買うときは結構考えます。考えるようになりました。実はちょっと気になってるバッグがあるのですが、それを買うにあたって先ほどから、自分の今持ってるバッグの寸法などを測って本当に必要かどうか、衝動買いになっていないか、わりと真剣に検討しているんですね。

たぶん、普通の人は普通にやることなんです。また、普通の範疇じゃないかもしれませんが、メルカリで細かくそしてしつこく値切ってきて、「メルカリ民度」と揶揄されたりするケースもあるといいます。出品者にとっては辟易とすることでしょうが、ただ世間の人というところの者は、お金が出ていくことに関してものすごーく抵抗があるわけですよ、当然ながら。もちろん今の私もそうです。

別腹支出をなんとも思わないメンタリティ

でも酒を飲んでると、たとえそれが一回一回は大した金額じゃなくても、酒に対してお金を支払うのに何の抵抗もない。宗教の盲目的な信者がお布施をするのと同じようなレベルで払う。酒に対する支払いは別腹なのです。だから、正しく酒は宗教ですよね。

いや、これはアル中の「お父さんそれは給食費なのよお酒に遣ったららめええええ!」的な極端なことではなく、飲酒習慣が深度化すれば誰でもそうなるという話をしたいのであります。

そして、その別腹的支出のメンタリティを考え合わせれば、「ストゼロ宅飲みだったら2本で酔えるしお金もかからない。だから酒やめたからってそんなにお金貯まらないよ」説が、欺瞞であることがわかろうというものです。

ともあれ、メルカリ事例は極端にしても、酒をやめると生活や人生から別腹支出がなくなりますので、金銭感覚がきわめて普通になる、いや、それ以上に倹約になる。だって今まで酒以外のことは必然的に倹約していたのですから、それがそのままだったら当然そうなります。そしてそうするとお金も貯まります。

これが、たとえば投資などで誰もが自分で資産形成しなきゃいけない時代、死ぬまで働きたくなければそうするしかない時代にあって、「タネ銭」づくりという意味で案外大きいんじゃないかと、これまた普通の人は普通に気づいていることにようやく気付いた元アル中がいますよ、という感じですね(汗)。

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