世の中がどんどん「きちん」としていく今、酒は生き残っていけるのかしらん? という余計なお世話な考察。

酒やめて、1754日。

日本スゲー→俺スゲーでオッケーでしょ

ちょっと前ですが、大谷翔平選手がメジャーリーグのMVPを獲得したことが話題になりました。そうすると出てくるのが、「大谷選手がすごいからといって日本人がすごいというわけではありません」@テレビのコメンテーターです(さすがにもう廃れた感もありますが)。

ただ個人的には、大谷選手を育てた、世界にも名高い「ブカツ」は日本人と日本社会が誇っていいものだと思いますよ。そしてコロナ終息(仮)は、「日本人すげええええ」認定でよろしいのではないでしょうか。もちろん終息したかどうかはわかりませんし、メディアは第六波を期待しているようでもありますけれども、ただ日本人の清潔習慣が世界で唯一コロナをねじ伏せたと言っても過言ではないと思われます。ずいぶん前にそうした予想(?)もさせていただいています(参考「清潔大国日本がコロナ後の世界で勝ち組になるという確信。しかし唯一のウィークポイントは……」)。

またこの場合の「日本人すげええええ」は「俺すげええええ」でもいいでしょう。だってみんな、きちっと手を洗って、マスクをして集近閉を避けてきましたから。

ちなみに、韓国ではここに来て新規陽性者激増で、人口あたりだと日本の50倍だそうですが、そういえばコメンテーターはいっとき、口角泡を飛ばす勢いで「韓国の感染対策すげええええ、日本は見倣ええええ」と力説していましたねー(冷笑)。

ともあれ日本人には独自の民族特性(?)があり、それがコロナ禍を通じて磨きがかかり、有用性が実証されました。そしてこれを契機に、今後はますます社会や人々の考え方が「きちんとしている」方向にシフトしていくでしょう。その背景には、ICT化とかAI化といったこともあると思われます。

そうしたなかでプレゼンスが小さくなっていくのが、いわゆるノンバーバルコミュニケーションです。

よくコミュニケーション能力が高い=リア充といった図式が描かれますが、そういう意味では、コロナ禍下においては、まさに非リア大勝利いいい! の図式がありました。そして非リアの嫌いな飲み会などは廃れていく……というか、参加しない権利は既得権認定されるでしょう。

直接コミュニケーションが相対的に低下していくなかで

むろんコミュニケーション能力といってもいろいろあって、論理構築力などのコミュニケーション力はますます重要になることは間違いありません。

一方、昭和平成の時代は、悪い意味でのノンバーバルコミュニケーションが幅を利かせている、といった社会的側面がありました。いわく、声の大きい人が勝つ、みたいなことですね。

ただしそういうコミュニケーション手法(?)は、ICT化AI化の世の中とはあまり相性がよさげではなさそうで、それがコロナによって決定的になった、と。そして多くの若者は、それを歓迎しているのではないでしょうか。だって明らかに前世代のものですから。政治家の顔を思い浮かべると、あの人とかあの人とか、いまだにそれを信奉している老害がいます。またメディアが礼賛する韓国社会はこれが大いに幅を利かせているといいます。

身近なことを考えてもそうですね。たとえば交通違反の切符切られるときに、大声で怒鳴ったり文句言ってるのはたいてい高齢者です。

ともあれ、世の中がそういうな方向にシフトしてきている。そうしたときに酒はどうか、ということですよ。

酒というものも、なんとなく「声が大きい人が勝つ」という価値観と親和性が高そうですから、当然のながらそのプレゼンスは今後小さくなっていくというふうに考えたいです。

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