酒やめて、1054日。
最近では、アル中という言葉は使わない方向に向かっているようです。イメージが悪いのですね。「アルコール依存症」「アル依」になっています。けれどもこのブログでは、アル中という言葉をあえて使っていました――「あえて」は大嘘で、このような言葉の使われた方を、実は最近知ったばかりなのです。というのも私自身は、当然のように周りからもアル中だと指摘されていましたし、アル中であることを自分としても許容していたからです。まったくどうしようもない話ですが。
なぜアル中は自分をアル中と認めないのか
アル中というかアルコール依存症は、否認の病気だといいます。つまり本人が、アルコール依存であることを認めない。前回も書きましたが、俺はまだそこまでいっていない少々飲み過ぎているだけだあいつに比べれば俺はまだマシだなどという心理です。うーん、わかるなあ。そういうヤツ、周りにもやまほどいますから。「検査の前日に、大して努力や我慢をせず酒飲まないでいられた」などとわざわざメールしてくる人もいますしね(笑)。
でも、ですね、「あいつに比べれば俺はまだマシ」は、前回のマタンゴ理論(「あなたの顔から生えているマタンゴ、他の人に見えてますよ!」)では、マタンゴが顔に生えている状態です。当然のことながら五十歩百歩なんです。
ではなぜ認めたがらないのかというと、一つには、やっぱりアル中というとすげえダサいイメージがあるからだと思います。外見でいえば、赤ら顔で歯が抜けて汚い格好して、昼から公園のベンチでカップ酒を煽っているという感じですよね。それと同化されるのを嫌うということは確かにあるでしょう。
上のケースは、ビジュアル的には『あしたのジョー』の丹下段平です。ちなみに実写版で段平役をやった香川照之さんは前歯4本抜いたそうです。すごい役者根性ですねー。『ロケットマン』のタイロン・エガートンも、現実のエルトンジョンと同じく前歯の間をすきっぱにしたそうですが。ただ『あしたのジョー』と『ロケットマン』じゃ予算規模が天と地ほども違うでしょうから、香川さん、アッバレです(笑)。
もっとも、その丹下段平も星一徹同様、ジョーをあしたに向かって育てるために酒をやめるわけですし、内面的にはめちゃかっこいい「漢」なのですが。
場末の立ち飲み屋でロレックス!
さてしかし、アル中は別に丹下段平みたいなタイプばかりではありません。故中島らもさんはインテリアル中でしたし、まんしゅうきつこさん(現まんきつさん)は美人アル中です。私の友人にはLEONアル中(の一歩手前)も何人かいます。そうしたなかのうち一人は、場末の立ち飲み屋で飲むのにあたって、ロレックスにポケットチーフで登場したりしてました。たぶん、そういうことも「否認」の一局面なのでしょう。
でもね、否認は、犯罪と同じでアリバイづくりをしなきゃならない。やっぱりものすごいエネルギーを使うわけですよ。それが嫌で私みたいにアル中宣言してしても、それでも相応のエネルギーは使うし社会的に死ぬ。だったら、疲れたくなくて死にたくもない人はやめるしかないわけです。
酒やめると、諸々のめんどくささから解放されてまったく自由になります。もちろん最初は非常に苦しいのですが、断酒3ヶ月を過ぎたくらいから、砂の上を裸足で歩くような気持ちよさが訪れるんです。自分はすべてから解放されて自由だ。もう何もめんどくさいことはない。これまで、酒を飲むために派生する諸々に、なんと気を遣い、エネルギーを注いできたんだろうと本当に思いいたり、後悔反省します。私のようにアル中と自認していた者でさえそうなんだから、否認してそこにエネルギーを注ぎ込んでいる人からすればもっとだと思います。
そしてそのエネルギーを他のものに振り向けることができれば、大事を成すことができる。それが「酒やめて人生、劇的に変わる」の正体なのでしょう。まあ私の場合は、まだそこまで行ってませんが、必ず行ってみせますよ!(笑)。