酒やめて、1592日。
ワクチン打たない( -`д-´)キリッとなる人々もいて……
最近「酒とテレビと同調圧力は、手に手を取ってやってくる。怖い怖い……」「フランス人がワイン離れだとか。人類はいよいよ酒と訣別するのか(期待)」という記事を書かせていただきました。内容をざっくり言えば、世の中、酒飲む人間と飲まない人間に分化しつつあって、それは新しい時代に適応できる人間と適応できない人間に、ほぼシンクロするってことです。そしてまあ一般的には、前者が若年層で後者がジジババですよね。
それは、ワクチンという一つの「物差し」で見てもわかりますよ。私の周りにも、ワクチン打たない( ー`дー´)キリッな人はジジババ中心にいますからね。というのはメディアが散々ワクチンの副作用ガーと煽っているからでしょう。そしてそうしたところしか情報源がないと、やっぱり「打たない」になって、予約したのに行かなかったりとか老害振りを遺憾なく発揮している方もいらっしゃるようです。
コロナで死ぬ確率と副作用の確率を天秤にかけると、どう考えてもジジババほど前者が高くなるのに、不合理といえば不合理なことです。ほんとにメディアの罪は重いと思いますね。むろん未知の感染症に対して、マッハ@トランプさんでつくったワクチンですから、そりゃいろいろ剣呑な部分もあるでしょうよ。でも今は、ワクチンを大多数の人が接種して集団免疫を獲得するのが一大目的なのに、メディアはその邪魔をしている感があります。
「自分軸」を確立するのに酒は邪魔!?
もちろん「打たない」という選択もあっていいと思います。若者のなかにもいます。でもそれはSNSの向こうにある膨大な情報、つまり多くの「知り合いの知り合いのまた……(医学の研究者も含まれる)」の情報を総合的に判断して、ということで、メディアに踊らされて、というのとは違うように見えます。
個人的には、いくら自由主義民主主義の世の中だって、みんなが一丸となって何かを目指さなきゃいけないときもある! という考え方は、今後ますます必要になると思いますけどねー。地球環境の問題にしても、中国の脅威に対して、ということにしても。
とまあそんなことは私のような者が言っても詮ないのですが、ともかくメディアに流されるのは、私を含む前世代の特徴でもあり、実は酒飲みの特徴でもあったりします。その辺はこのブログでも何度か書いてきましたが、酒飲んでいると、飲んでいるときはもちろん、飲んでないときでも、つまり人間としての性向そのものが、情報の受け止め方に関してラクな方ラクな方に流れて、それは結局、同調圧力に潰されるというリスクを呼び込みます(参考「酒による「ねばならない脳」に同調圧力が加わると、かなり強力な人生破壊兵器になるという件」)。
逆に言うと、自分で考え自分で判断して生きていくためには、酒は必要ない、邪魔だというということですよね。それを、酒を飲まない若者はわかってるのではないでしょうか。若年層の酒離れと自分軸を持つということは、密接につながっていると思います。少なくとも私の周りを見るにつけ。
そして、私もそっちに行きたいのですね。精神的若づくりってやつです。繰り返しますが、そのための必要条件が「酒飲まない」になる。それが新しい時代を生きていくということです。いや、少なくともそう思うことが、断酒を続ける大きなモチベーションになるのではないかと。