酒やめて、1287日。
大学生にとって酒はカルトより怖い!?
『大学生が狙われる50の危険』という本が今春、出版されています。この手の内容は、各大学でも独自に冊子にして新入生に配ったりしてますよね。
そしてこの「危険」というものはやはり時代とともに変遷しています。
昨今はSNSに関係する危険もありますが、この点については高校生のうちにリテラシーが確立されるようにもなっています。
問題は違法コピーですね。これは、留学生の「日本人、コンテンツにお金払うの不思議です」メンタリティが日本人学生にも伝染しているという背景もあるでしょう。
さて、我々が大学生だった頃は、大学生活において一番危険だったのは、やはりカルトです。大学は自由な場であり、「若さ×自由」は、悪しきものにつけこまれやすい二大条件と言えます。
ただしカルトについては、大学側もかなりナーバスになり徹底的に排除に動いた結果、少なくとも学内での危険性は今はかなり低下しています。
また昔は大学教員そのものが過激な思想の持ち主だったケースもありましたが、今の大学は、相対的に職員(=大学当局)の力が教員よりも大きくなっていますから、かなり管理がゆきとどいています。逆にもう自由の場ではなくなりつつあるのかもしれませんね。
でも今の大学生、というよりも若者全般が自由よりも管理……といったら大げさだけれども、きっちりやってもらうほうが快く感じるのは確かでしょう。それは、今の若者がヘタれた、ということではなく、体制としての自由をベースに狡いことをやる人間がたくさんいることをネット情報の浸透で知ってしまったからです。だったら、管理ベースで機会平等のほうがよっぽどいいねというわけです(たぶん)。「マイナンバー、それのどこがいかんの?」ということですよね。
そうしたなか、大学生の「危険」のうち、存在感をここに来て大きくなっているのが、そう、酒です(笑)。
もちろん我々の時代とて酒の問題はありましたし、急性アルコール中毒で運ばれたーなんていうこともよく聞きました。
大学生になることと酒とは切っても切れない関係なのは事実でしょう。大人になったことを確認するために酒を飲む。あるいは新しい自分になるために酒が必要だったという側面も伝統的にあったのかもしれません。
しかし今は違います。もう学園祭なども酒禁止ですし、早稲田大学が伝統の「隈飲み」に代表される構内飲みを全面禁止としたのも、それこそかつてのカルトに対する大学当局の姿勢と似ています。
酒の害が大きく取り上げられているわけですね。一つにはこれは、当然ながら世の中の趨勢をそのまま反映したものでもあります。
飲酒習慣が身に付くと、その先の人生で困るよね
もう一つの理由は、やはり酒というものの危険度が相対的に増しているからでしょう。なぜならば安くなってるからです。
私の時代を考えてみると、確かに先輩に飲まされたりイッキやらされたりみたいなことはありました。でもその先輩にしたところで、毎日のように後輩に酒をゴチできるかといえば、酒の値段とバイト代のバランスからして無理なわけですよ。
ところが今や、居酒屋でも飲み放題システムが完全に浸透していますし、高田馬場などに行くとチェーン店系でびっくりするほど安い居酒屋がありますよね。
なおかつ宅飲みならば本当に極めて低コストで飲めてしまいます。一方でバイト代は、東京で夜間ならば1250円なんてところもありますし、1時間働ければストロングゼロが12本飲めてしまうんですよ。
バイト代と酒代のバランスが極めて悪かった時代を生きたおっさんとしては、衝撃ですらあります。いや、それが普通だったんでしょうね。逆に今、こうした時代に自分が大学生だったら、と思います(怖)。
ちなみに私が大学生の頃は、時給が450円でビールが大瓶一本330円でした。だから44分働いてやっとビールが飲める、という塩梅です。安い発泡酒や第三のビールもなかったですし。今は繰り返しますが、一時間働いたらストゼロ10本飲めちゃう。ある意味、異常ですよ。
酒は通過儀礼なのかもしれませんが、それを通過儀礼にとどまらせない環境がもう完全に出来上がってしまっているのですね。そして、酒を飲むのが一番お手軽で金のかからない趣味になり、大学生の場合、飲む相手が極めて見つかりやすいことと相まって、酒しかない人生になりがちです。
ただ余計なお世話ながら言わせていただくと、これから大学を卒業する人たちの人生は、時代の激変に合わせて一生勉強し続けなければならない人生です。一生自分を高め続けなければいけない。なのに大学生の時に酒を飲む習慣をつけてしまうと、あるいは酒が楽しみといったようなメンタリティを身に付けてしまうとかなりやばいことになるんじゃないかなあと、お盆で実家に戻ってきてタダ酒でありついている甥っ子たちを見るにつけそう思う次第であります。