酒やめて、1280日。
「首脳会談」がどれほどの意味を持つのか
またぞろ、気になる(悪い意味で)記事を見つけてしまいました。
京都新聞に掲載された社説ですね。
韓国との関係についてです。元徴用工問題に関して、韓国の最高裁が日本企業に賠償を命じましたが、この4日から韓国にある資産の現金化が可能になったのとのことです。日本側はこれに対して相応の報復処置を採るとしており、そうなれば日韓関係は抜き差しならないことになる、だから首脳同士で話し合いを! という主張ですね。
毎度のことながら呆れますねー。新聞社に就職する人、ましてや社説を書くような人は、まあ秀才で学校で公民科のお勉強もちゃんとやってきたのでしょうから、わかっているはずです。そんなことは無理スジだってことを。だから確信犯で書いてますよね。
つまり、韓国は大統領制で、文大統領のやってることを見るとかなりの独断専横も可能なようですが、日本は議院内閣制なので安倍首相の一存でちゃっと決められることなんてほとんどないのです。
それがわかっているのに、日本側がその首脳対談とやらをしないと、「日韓友好に背を向ける日本政府~! 安倍ガー」となるのが日本のメディアってやつですからね。
そもそも議院内閣制ということ以外にも、日本は「話し合い至上主義@井沢元彦氏」であり、もし、その首脳会談とやらで安倍首相が何か決めてきたら、「独断だー」「いや、独裁だー」と、メディアや野党は大騒ぎするでしょうよ。
そもそも世界や社会の趨勢として、一個人のプレゼンスが、国のトップといえども極めて小さくなっています。
確かに昔は、たとえばルーズベルトとチャーチル(アル中大先輩です!)がサシでやりあった結果、アメリカが参戦を決めたこともあったけれども、今は、政治システムを含む社会システム的にも不可能です。
酒の地位はますます低下!?
そしてこの傾向は、政治や外交の世界だけでなく、一般社会でもそうです。以前も書きましたが「腹を割って話し合って」の時代じゃないですよ。ポートフォリオとエビデンス(データ)と企画書の時代でしょう(参考「コミュニケーションの変容と酒の無力化」)。
そうすると、どうなるか。「腹を割って」につきものなのは、そう、酒(笑)ですよね。ですから今後、酒の地位というものは、交渉事において、どんどん小さくなっていきます。というよりも、もはや、ビジネスに酒を持ち込むことが非常識になっていると言っていいでしょう。
逆に言えば、飲めない、飲まないことは、ビジネスになんの影響も与えないということですね。
また、たとえばかつては大酒飲みのイメージが強かったラガーマンでさえ、真剣にラグビーに取り組みたいので酒は飲みませんという選手もいるくらいですから、ここでも「職酒分離」が起きています。
そして、今回のコロナの一件もあり、ここから一気に酒の飲み方というものが変化していくのではないでしょうか。
もうビジネスや交渉事が「腹を割って」というパーソナルなキャラクターに依存するものではなくなり、それに伴い酒の地位も低下する。
そうすると、差し向かい飲み、飲み会飲みではなく、プライベート宅飲みの比率が大きくなるでしょう。単純な楽しみになっていくわけです。それも、あんまり上等とは言えない楽しみですよね。お前がそれ言うか、ですけど(参考「酒が楽しみの人生は、酒しか楽しみがない人生だと気づいてしまった。遅まきながら」)。
なんにせよ、お酒との関係を根本的に見直す時代と社会になってきているのかもしれません。