酒やめて、1190日。
“普通の人”が平田オリザ発言に違和感を覚える理由
劇作家の平田オリザさんの「私たちは製造業とは違う」発言が話題になっている、というよりも炎上しています。これ、ぶっちゃけ意訳すれば、我々は特別だー! ですよね。
かなり極端に解釈しましたが、しかしこのことは私は皮膚感覚でものすごーくよくわかるんですよ。というのも私の周りにもいますから。ミニ平田オリザ(笑)。
自分はいつも一段上で、はなもちならない選民意識を持っている人ですね。大げさに言えば。
一般に高学歴で、言論に関わってる人間はこういう思考になりがちです。周りの人間を愚民とみなし、教化してやらなければいけないと思い上がっています。朝日新聞なんかは典型です。
私の周りのミニ・オリザにしても、「俺はお前とは違うから」とか「教えてやるけどさ」が口癖だったりします。
そういう人間は、佐野元春の「つまらない大人にはなりたくない」あるいはユーミンの「もう若くないさと君に言い訳したね」的な価値観で育ってきたのでしょう。私も昔はそうでした。でもオリザ&ミニ・オリザはたぶん、ずーっとそういう価値観で生きてきたのです。だから、普通に生きている人が馬鹿に見えて仕方がないのです。
「もう若くないさと君に言い訳したね」の『いちご白書』なんて今観ると、完全中二病映画ですよね。いわゆるアメリカンニューシネマはだいたいそんな感じです。一方、フレンチニューシネマとでもいうべき『冒険者たち』だけは違うように思えます。「自由に生きる」がテーマではありますが、普遍性とエンタメ性があります。余談ながら。
結局、酒も、ダサい反体制ジジイのアイコンなのだ
それはともかく、要はそういうふうな価値観で生きている人間がこれだけ糾弾されるということは、もうそういう認識あるいは主観は、ダサくなってるんですよ。それを知らずに生きていてとんちんかんな言論をするからさらにダサイし、自分をメタ認知できてないのもめちゃダサイです。
もっと言わせていただければ、反体制を気取っている人ほど体制に公的補助や優遇を求めますよね。それを甜として恥じない。朝日新聞など大手メディアが自分たちだけ消費税軽減を訴えたのもそうですし、この辺も矛盾しててダサイです。
で、断酒ブログ的に言いたいのは、こういうダサい前世代のアイコンに酒もなりかかっているということです。ま、我田引水的に考えれば、ですけど(笑)。
こうした人たちって、だいたいにおいて酒好き飲み会好きで、つまり酒でも飲みながら腹割って話そうという価値観を持ってるじゃないですか。そういう価値観を持たない人間からすれば、別にあんたに割る腹はねーよ、でしょう。ポストコロナでは、そうしたコミュニケーションのスタイルのプレゼンスはどんどん小さくなっていきます。
そしてそのようなダサい前世代と認定されない一番簡単な方法は、そのアイコンの一つである酒から脱却することではないか、と(笑)。