酒やめて、1148日。
「減酒外来」というものが話題を呼んだことがあります。もちろん今もやっており、酒飲みの間ではよく語られるテーマ(?)です。久里浜医療センターが断酒ではなく「減酒」というプログラムもあるよと呼びかけているわけです。そして今では、比較的多くのアルコール科を抱える病院で開設しているようです。
「減酒」という魅惑的な響き!
まあなにしろ発信者が、あの久里浜医療センターですからねー。断酒の総本山のようなところです。自分がアルコール依存症かどうか判定する久里浜式テストは非常に有名ですしね。ちなみにもちろん私もこのテストをやったことがありますが、断酒友、当時の飲み友から「これがセンター試験だったら得点率は東大合格確実圏!」との“判定”をいただきました(笑)。ともあれ、そのような医療機関が「減酒でもええよ」と呼びかけたのですから説得力がありました。
私の周囲も、かなり興味を示していました。まだ酒をやめてない人間は当然ながら「そうか、減酒でもいいのか」となり、断酒友も「まあそれができればなあ」とやはり言ってましたね。もちろん私もそうでした。
その一方で、一生一滴も飲んではいけないというトラディショナルな主張もあります。一度依存症になると、酒を飲めば快楽物質が出ることを脳が覚えそれを求めます。そしてその「回路」は死ぬまで有効なので、再飲酒するとすぐにスイッチが入ってしまい、前よりも酷い依存症になってしまう、だから「一生飲まない」べきだというものです。「減酒は無理」の根拠ですね。
もちろん、減酒外来の目的は「間口」を広げることでしょう。アルコール依存症の治療というとハードルが高いし、酒にも当然、未練はある。そうした問題飲酒者たちを受け入れ、ある者はそこから断酒に導き、その必要がない者は減酒を続けさせる、というメソッドです。「減酒」という魅力的な誘蛾灯で、世のアルコール依存症およびその予備軍を惹きつけようという魂胆(?)が医療機関にはあるようです。
これをどう考えるか、です。当然ながら久里浜医療センターもきちんと線引きは行っているでしょう。ただしそれでも「減酒は意味ない」「久里浜の意図がわからない」という声があることも事実です。
そして断酒者として謎の上から目線で言わせていただければ、普通に飲んでいた人、つまり「減酒」が有効と規定されるような人でも、こっち側、すなわちアル中サイドに来てしまったことを感じさせるときはあります。
「こちらに来た」とは、普段の言動が若干変わってくるのです。それは、ニュートラルな視点が持てなくて独善的になったりとか、決めつけ癖が出てきたりすることであり、普通ならば、疲れてるのかな、とか、歳をとったのかなと思うのでしょうが、私にはわかります(笑)。酒が脳を損傷し始めているのです。
ですから線引きはなかなか難しく、そのラインは常に動いているということですね。そして、人生において酒と上手に付き合える期間は短いのです(参考「人生で、酒が似合い酒が生かせる時期は、思っているほど長くはない」)まあ久里浜のやることに私が異を唱えるのも滑稽ですが(笑)。
「飲む」と「飲まない時間」が土の中になってしまう!
で、私の場合、つまり元アル中と考えていただければ良いのですが、減酒は絶対に無理です。
これもなんだか上からで申し訳ありませんが、今が気持ちよすぎるからです。
数日前にも書きましたが、飲酒時代は飲んでる時間だけがセミが地上でミンミン鳴いているようなもの、つまり「ハレ」の時間で、飲んでない時間は土の中にいるわけです(参考「飲んでいないときは土のなかのセミ? そんな状態はもうゴメンです」)。普段の生活がつまらないのです。で、そうした生活には戻りたくないというのが一つあります。ちょっとでも飲むと、飲んでいる時間が「ハレ」になる分、おそらく他の時間でも常に飲みたいと思うようになり、それは不愉快な心理状態をいつも抱えてしまうことにほかならないからです。ビール一缶でも毎日飲む時間があると、その時間だけがめくるめくときとなり、他の時間が土の中になってしまう。それは御免だということです。
せっかく今は、飲みたいと思わない「普段」が気持ちいいからこそ、これを大切にしたいのですね。
もう一つは、もちろん一本飲んだらスイッチが入ってしまうことに対する恐怖です。
世の中には、「ビール街」的な飲み方と「ジン横丁」的な飲み方があります(参考「ストロングゼロが亡国の飲み物であるというこれだけの理由」)。生活を潤すための飲み方と、憂さを晴らすための飲み方ですよね。私の場合、完全に後者でした。憂さを晴らす、というのともちょっと違うのですが、いろんなことから逃げるため、問題解決を先送りするため、あるいはもうパッパラパーになりたいから飲んでいたという感じです。
「ストロングゼロが福祉」とよく言われますが、まさにその福祉飲みです。私はキンミヤをストゼロで割って飲んでいたので、その最下級のやつですね。で、福祉飲みは福祉ですから、減らすことはできません。それは、ホンモノの(?)福祉に置き換えてもわかると思います。年金減額、生活保護額減額、児童手当額減額なんて起こったら、大騒ぎになることは容易に想像できますもんね。
ですからそれは無理なのです。
で、「減酒」で行きたいという人は自分がどういうタイプなのか考えてみてから判断すると良いと思われます。ビール街的な飲み方であればオッケーでしょう。ただ私の周りにはそういう人間はほとんどいませんでした。いや、本人は「ビール街」と思っていて、実際「俺は適正飲酒者」だと主張しているのですが、そういうことを主張すること自体、もう「ジン横丁」、こっち側のダークサイドに足を踏み入れているってことですよ。
と、理屈っぽいことをなんだかんだ書き連ねてきましたが、要は断酒が減酒よりも圧倒的にラク、ということを言いたかった、そして自分に言い聞かせたかったのであります(笑)。「減酒」はあくまでも「断酒」の間口ですよ、皆さん。