酒やめて、1115日。
宮脇作品は鉄文学を超えた上質なノンフィクション
宮脇俊三という紀行作家がいます。私は大ファンなのでこの人について語ろうと思うと想いの丈が強すぎて収拾がつかなくなるのだけれども、一言で言えば、時刻表文学を確立した第一人者です。中央公論の編集長当時、齢50すぎにして国鉄(当時)の全線乗車を達成。それを紀行文にしたところ、上質なノンフィクションとして高い評価を受け、それ以降次々と「時刻表に乗る」をテーマにした作品を発表、鉄道オタクだけでなく広く一般も魅了していきました。
宮脇先生はもう17年も前に亡くなり(この26日が命日)、つまり新作が読めない状態です。没後、ご家族が未発表原稿を取りまとめて出版した『終着駅』がありますが、これが出版されたときは、世のミヤワキストは、文字通り砂が水を吸い込むごとくでした。
遺稿集というと大抵はクオリティが低いのですが、この『終着駅』は生前に発表した作品群とまったく変わらぬクオリティであり、この原稿の発表を生前に許さなかった宮脇先生の美意識の高さが伺えます。
ちなみに長女の宮脇灯子さんが著した『父・宮脇俊三への旅』によれば、宮脇先生は晩年はアル中気味だったそうです。やはり自分の美意識が高すぎてそこに実践が追いつかない天才がゆえのジレンマで、過飲酒になってしまったのでしょうか(参考「美意識が高すぎるがゆえにアル中になる!? そして断酒すれば、自分で自分に納得できます!」)。
ともあれ宮脇先生は、自分の行動を客観視しそれを少しの諧謔を交えて描くという、今からすればブログなどで確立されたスタイルを実践していた作家のように思われます。そうしたスタイルの、うんと格調高いバージョンです。
「揶揄」がヤル気に火を点ける!?
さて宮脇先生のデビュー作となった『時刻表2万キロ』は、先生が国鉄全線を踏破する最後の部分を描いたものですが、そこにはこんな一節があります。
全線完乗はまだか、との激励とも揶揄ともつかぬ声もかかる。激励ならそれに応えなければならない。揶揄なら、なおのことやり遂げなければならぬ。
私が言いたいのは、断酒もこの国鉄全線完乗に似ているということです。
当然ながら断酒についても、激励もあれば揶揄もあります。またそのほかに「いつ再開するの」というお誘いもあります(宮脇先生も、完乗の旅に出るために夜行列車に乗ろうとしたところ、飲み友から引き止められるときが度々ありました)。このなかで一番力になるのは、宮脇先生が「なおのこと」とご指摘されている通り「揶揄」です。やってやろうという気持ちに火が点くのです。
一生懸命断酒している人に揶揄なんてないだろう、と思われるかもしれませんが、そう感じる人は周囲に恵まれています(笑)。私の場合は、自身のもともとの人望のなさもあるのでしょう、「隠れて飲んでるんじゃないのか」とか「お前みたいに意思の弱い人間が酒やめられるわけがねえ」などと言ってくる人が本当にいた(いる)のです。
で、そういう揶揄がほんとに役に立った、断酒継続に効いている気がします。そういうことを言ってくれる人を周りに持てたのは、一周回って幸せなことなのかもしれません。
もちろん腹も立ちますよ。でも、その解消法もあるんです。断酒ブログを始めて、そのなかでそいつをディスってやればいいんですよ。ほら、こんな具合に(笑)。
宮脇さんの著作にも、揶揄ってくる人に対するチクリはありますしね(笑)。