酒やめて、2987日
米田哲也さんの万引き事件はショック過ぎた!
ちょっと前ですが、往年の大投手である米田哲也さんが万引きで捕まるという事件が報道されました。暮らし向きも相当に困窮していたようです(参照「「家賃500万円を滞納」「万引きは今年に入って3回目」 逮捕された350勝投手・米田哲也の極貧生活 張本勲氏も「金の無心をされたことが」」)。
このように書かれるきっかけになったのは缶チューハイを2本万引きしたことで、これは元アル中として非常に身につまされるものがありました。私も酒を飲み続けて困窮したならば、やりかねないことだからです。
通常、万引きというものの動機として挙げられるのは、スリルが味わいたいとか、欲しいものがあったけど買えないからとか、後は、高齢者の万引きで案外多いのは、お金を使うのがもったいからという身勝手なものです。なぜ高齢者かというと、老後のために少しでもお金を節約したくてそれが習い性になっているからでしょう。
ともあれ、そのような理由で万引きすることと、酒を万引きすることはちょっと違うと思うのですね。
万引きの対象が酒の場合、理屈づけできるものではなく、手を出さずにはいられないということですよね。もうこれは元アル中としてめっちゃわかるんですよ(二度目)。酒が目の前にある、金がなくて買うことはできない、でもどうしても飲みたい、というもので、本当に理屈じゃない。
金がなくても「金がない」だけで済むありがたさよ!
だからといって万引きするのは極端ですしなによりも犯罪ですが、ではこう考えてはどうでしょう?
以前も書かせていただいた私の友人と先輩の話ですが、先輩はその友人の前で、飲みに行くから金を貸して欲しいという電話を別の仕事仲間にしたというのですね。友人にゴチするから金を借りるのではなく、自分の分がないというのです。友人はあわてて、いや、ご馳走させていただきますからと言ったらしいですが。
こうしたことって、往年の文豪、たとえば内田百閒先生などもやっていて、武勇伝ぽくもあります。いや、武勇伝ぽく見せてしまうのが酒の怖ろしいところなのですが、とりあえずそれについてはここでは措いておきます。
ともあれここまでは「武勇伝」で済むかもしれませんが、こうした行為が集り酒というものにまで発展(?)してしまうと、やはり異常度が増します。実際、飲み会などでちょっと待ち合わせがないからといってバックれる人もいます。
そうしたときにはみんなが補填しているわけで、繰り返されるとみんな気づいてしまい、それから先、その人と付き合うかどうかは個々の判断でしょうが、異常性を感じるのは全員に共通したものです。
そして、そうした行為の行き着くところに万引きはあると思うのですよ。
ともかく酒を飲みたいが金がないというのは、アル中までいってなかったとしても飲酒習慣がある人間にとって、人生の中でも切実な辛さであり、だからこそ万引きのような犯罪に走らせたり、集り酒のようなことをして人間関係を毀損するのです。
一方、酒をやめると、金がなくても単に「金がない」だけで済み、「金がないけど酒を飲みたい」とは金輪際ならないのは、いやいやいや、これってかなり「ありがたいこと」だなあと実感する次第でございます。
原則として火曜日と金曜日の19時に更新しています。
カテゴリ別インデックスページはこちらです。