酒やめて、2594日
人格攻撃の類が習い性になっている人間は確かにいる
「自分を大切にする」「自分ファースト」という言葉と実態がもてはやされています。もてはやされているというとなんだか揶揄しているみたいですが、いや、ほんとに大事だと思います。これだけストレスの弊害が認知されているなか、そのストレスをできるだけ低減することを人生の至上課題にすれば、自分を大事にするのは当然の帰結です。
で、世のストレスの大半は人間関係によってもたらされるものでしょう。
私がX上で勝手に断酒仲間認定させていただいている「ゆりひ」さんが以下のようなポストをしてまして、これねーまったくもって「ほんそれー」というか、わかりみが深すぎます。
世の中には、とにかく他者の人格攻撃をすることで、それこそ自分のストレスを解消しようとする輩がいます。わざとやっている人間は希少でしょうが、それが習い性になっている人間はいます。また人格攻撃とまではいかなくても、自分が信ずるところ、自分の(おうおうにして古い)価値観と一致しない人を言下に否定する輩もいます。それでマウントを取るというか、自分のアイデンティティを保とうとする人間が確かに存在しているのですよ、困ったことに。
そういう輩は、常に他者にストレスを与えているわけですよね。まさに「元凶」です。でも社会生活している以上、付き合わなければいけない――いや、そうではないですね。避ける必要があるし避けることができます。
ただし、酒が絡むとそういう人間との接点は物理的に増えます。以前も書きましたが、人間は酒飲むために集まるわけですから(参考「「社交に酒は必要なのだろうか」問題を考えてみる」)。
「ぼっち耐性」×「自分軸」が最強である件
一方で酒をやめれば、人間関係を希薄にすることができると私は思うのです。なので、人間関係によるストレスをため込まずに生きていくことが可能となります。
まず心理面では、酒飲まない生活を続けていると「ぼっち耐性」が身につく×「自分軸」が形成される。
結局ねー、ストレスを与えてくる輩は、こっちが呼び寄せている部分もあるんですよ。その典型が、いわゆるストックホルム症候群なのでしょうけど、こちらに「(誰でもいいから)交流したい」という思いが心の底にほんのちょっとでもあれば、やつらはそこに付け込んできます。
が、酒やめて「ぼっち耐性」×「自分軸」で生きていると「わしに構うなよアトモスフィア(?)」を発するのでしょう、そういう輩を寄せ付けないのです。
また自分自身でもコンフォータブルに生きることが至上課題になり、人間関係を維持することのプライオリティが低くなるので、「(誰でもいいから)交流したい」みたいな思いを心の底に残すことはありません。
そうやって人間関係をシュリンクしていき、接していて自分の心が綺麗になる(=コンフォータプル)ような人しか付き合わない会わないみたいなことができるようになる。
また実際面でも――私はフリーランスで仕事をしているのであまり参考にはならず、またいつも書いていて恐縮ではありますが――嫌な人とは仕事をしないことが徹底できます。酒飲まないと生活がミニマムになるので、しゃかりきに仕事をしないでも済み、だから仕事(人)を選べます。
まあ実際面は人それぞれ置かれた状況による部分はあるけれども、少なくとも先に記した「ぼっち耐性」×「自分軸」で、ストレス発生人間を寄せ付けないことができるのは断酒erに共通したことかと。
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