酒の周辺がざわついているようだけれども、飲酒文化はこれからどこへ向かうのか。余計なお世話ながら。

酒やめて、1626日。

酒が悪者になっているのは誰のせい!?

日本の「ワクチン不足」について、窪田順生というジャーナリストが考察しています。

ワクチン不足・酒提供への圧力で露呈した「やりすぎる日本」という負けパターン(ダイヤモンドオンライン)

この記事の趣旨は日本社会構造と日本人のメンタリティ(の特殊さ)ですが、医師会に忖度する自民党が飲食店と若者をスケープゴートにしているという指摘に興味を惹かれました。当然ながらこの二つを媒介するのは酒、ですよね。

そしてその自民党はといえば、西村経済再生相が、飲食店の酒類提供禁止について金融機関からの「圧力」を求め、さらには撤回するという騒ぎがありました。

またその一方で飲食店サイドも、ワタミの渡辺美樹会長が「お酒だけが原因とされ、我々だけがずっと犠牲になっている」と言って、ネット上では「あんたたちだけじゃないやろ~」と物議をかもしたりもしています。

一般的な感情&意見としては、飲食店は協力金がもらえるけれども、それに付随する業界と人々はまったく補償もなく切り捨てられているのはどうなのよ、というものがあると思います。

とまあ、ざっくり捉えれば、酒というものの周囲が、かなりもやもやとした状況になっています。

こうした「もやもや」は今後、酒に対する社会の目というもののさらなる変容をうながしていくでしょう。ましてや若者の酒離れも進んでいます。

本当に「酒による癒し」は必要なのか

断酒者視点と言ってしまえばそれまでかもしれませんが、新宿のお店が掲げて話題になった「酒に罪はない・労働者のささやかな楽しみまで奪って、感染対策と何の関係があるのですか?」というスローガン(?)も気になるところではあります。もちろん趣旨はわかります。ただ身勝手に言わせてもらえば「酒」=「労働者のささやかな楽しみ」というのはもうオワコンではないかと。

人類は長い間、労働し酒で癒すというパターンで生きてきましたけれども、この組み合わせが時代にそぐわなくなっているのかなあ、と思ったりもするのですよ。働いて酒飲んで寝てだけの人生はどうなのよ、ということです。いや、私も飲酒時代まったくそういう人生を送ってきました。そして今思うのは、そういう生き方だと、酒飲む時間を心待ちにする分、働いている時間が楽しくなくなるということです(参考「飲んでいないときは土のなかのセミ? そんな状態はもうゴメンです」)。

酒飲むだけが楽しみでは人生つらいし、また若者の酒離れは、そういうところを微妙に感じ取り、生きることの価値をいろんなものに見出そうとしているからではないでしょうか。

そうしたところに持ってきてこのコロナで、酒を見る目が厳しい……という単純なものではないのでしょうが、冒頭に記した通り、もやもや化していると思うのですね。世間が、いろんな思いを持って酒と、酒の周辺を見ている。確かに酒そのものは悪くないという理屈はあるかもしれないけれども、なーんか、周辺が政治やイデオロギーやコロナストレスとからんで面倒なことになってるよねえ……と思ったりもしますよ。

もう酒に絡むもろもろ面倒くさくね? もっと違う生き方を考えようよという方向に人類は進んでいく。そうした風潮があると信じて、それを追い風にしたい断酒者なのであります。

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