酒に弱い日本人がグローバルコンプライアンスに対応していくには、酒やめるのが一番ラクな道なんです!

の酒やめて、1052日。

グローバル化グローバル化、とかまびすしく言われます。まあそらそうやろとは思います。日本は少子高齢化で市場規模が縮小し、企業活動も海外が主軸になる、だから日本人ワーカーもそれに対応しなければならない、と、ざっくり言えばそういうことになるのでしょう。

「アルハラに厳しい」は世界標準だから!

そして文化、という面でもグローバル化が進行しています。アルハラの顕在化、などはその一局面ですね。これからは欧米なみに、酒起因のハラスメントに対して厳しくしていこう、というわけです。

これも今まで放置されていたことが異常だったわけですが、そこには日本独自の、というか、日本人独自の問題があったと思います。

日本人をはじめとした東洋人ってそもそも酒に弱い、ということがよく言われます。反面、欧米人は強い、と。これは肝臓の分解酵素の違いが原因とされています。遺伝子レベルで違うわけですね。

だいたい白人系外国人なんて、11月の鵠沼で海パン一丁でサーフィンしてますからねー。馬鹿です。身体のつくりそのものがまったく違うのだと、感じ入ってしまいます。

同じ人間なのに、と思いますが、遺伝子レベルの「進化」なんて案外短時間で行われてしまうものらしいですね。

酒に弱い日本人が、グローバルコンプライアンスを遵守することの厳しさ

これはやはりその生活史によるものでしょう。日本は山紫水明の国で生水が飲めた。だから酒を常飲することが根付かず(だからハレの場でのお神酒が文化として生まれた)、DNAレベルで酒に弱くなったのでしょう。一方、生水が飲めないヨーロッパなどでは、果汁を発酵させた薄い酒を常飲していたので(だからこそワインがキリストの血であるという発想が生まれた)、酒に強い体質となった。では中国はどうか、あそこも生水は飲めないのに、中国人は日本人同様、酒に弱いじゃないかと言われそうですが、そこはほれ、お茶というものがあるじゃないですか。だからこそ、そのカフェイン効果を借りて修行を積むZENが生まれたのでしょう。

とにかく西欧人は酒に強く、日本人は酒に弱い。そして西欧人がつくったグローバルスタンダードを日本社会に持ち込むから、さまざまな齟齬が生じてしまいます。アルハラにしても、それを犯してしまうリスクは、日本人は格段に高いわけですよ。でも適用はグローバルスタンダードだから、西洋社会と同様に、社会的生命を絶たれてしまう。だったら酒をやめてしまうのが、実はいちばんラクなんですよ。

いや、これは本当に今、私は実感しています。このブログでもたびたび書かせていただいていますが、酒を飲むことで必要となるリスク管理、それに費やすエネルギーを考えると、酒を飲むのがいかに割りに合わないか、ということなんですねー。

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