若いうちの酒を介した社交と、ある程度齢食ってからのそれは、区別して考えた方がいいと思います。

酒やめて、1730日。

世界が驚く陽性者激減をスルーして「アベノマスクガー」と騒ぐ日本のメディアw

いよいよコロナが収束しそうですね。昨日の陽性者は239人で、今年の夏、最多で一日2万5千人超えていたことを思うと、信じられないような「激減」ぶりです。そしてこれは日本だけの状況らしいです。やっぱり日本はやればできる子です。前に「「下町ロケット」はもうないのに円安だけが進行したらどうなるかということを、断酒者視点で考えてみた」と書きましたけれども、何とか克服してもらいたいものです。

収束の理由について専門家は「わからない」としていますが、むろんワクチンの急速な接種が大前提としてあるのは確かでしょう。菅元首相は一日100万回接種を打ち上げて実現し(一説には150万回に達した日もあったといいます)、ワクチン完了率において、あっという間に世界のトップレベルに躍り出ました。世界のメディアが「驚異」として取り上げています。

一方でこのことについて、例によって日本メディアはほぼだんまりですし、ここに来て「(過去の陽性者数の)集計ミスガー」「アベノマスクの無駄―ガー」と、どうでもいいことで騒いでいます。そもそも日本のメディアがコロナ禍を必要以上に煽り立て、多くの新卒者の内定取り消しの片棒かついだことを、保護者の一人として絶対に忘れたくないです。

さて、第六波ガーと騒ぐムキもあって、確かにそうなのかもしれないけれども、とりあえず行動制限が解除されたということで、やはり多くの人が「禁足開け」を祝っているようです。で、これについても「若者ガー」という論調もありますが、私はちょっと思うところがあるのです。誰に頼まれたわけでもないけれども、以下述べさせていただきます。

アウトプットが大切な年齢でも「インプットガー」と言って飲む人たちw

私も子どもがいるので、できればうちの子には飲んで欲しくないと思っています。それは自分が元アル中として酒の害を知り尽くし、また飲まないことの良さを知り尽くしている(つもり)だからです。

飲酒はしないに越したことはないし、それをわかっている若者がどんどん増えてますけれども、ただ、若いうちの飲酒はまだ情状酌量の余地があるのかもしれません。というのは、「酒を介した社交」ということを考えると、若いうちは人脈を広げたり、情報や教養を吸収したりする時期だからです。

むろんそういうことに飲酒を介した社交が役に立つかというと、読書などに比べたら能力低めだと思いますけれども若干の効用はあるかもしれません(今、思えば、ですが)。

けれども、ある程度齢をいってからは、そういう理由で飲むのは考えたほうがいいと思うんですね。いまだに私の周りには飲むにあたって「情報交換ガー」とか「インプットガー」とか言ってる人がいます。そしてそれを、無駄にアピールしてくるのです。

思うに、人生前半はインプットの時期です。本を読んだりすることも含めて蓄積していかなければいけない。ただし、社会人生活後半になるとインプットよりもアウトプットの方が圧倒的に大切になる(もちろんそれには、飲酒習慣がないほうが圧倒的に有利です)。にもかかわらず、飲む理由をインプットに求めるのは単なるstupidてやつですよ。

いや、別にご本人がやる分には構いませんけれども、酒をやめている人間に対して「(酒飲んで社交しないと)インプットできないだろー」みたいなことを言ってくる輩もいるので、あえて書かせていただきました。

とまあ、エラソーにしておりますますが、ご想像の通り、まさに私もそうした愚か者でした。だからわかるのです。私も誰かを誘うときには、「情報交換しよう」とか言ってましたから本当の馬鹿です。

「インプット(のため)」というのは、非常に恣意的に運用されやすい理由ではあります。そして飲酒行為にあたって、この理由を持ち出すと自分を納得させやすいという側面は確実にあります。ただ繰り返しますけれども、ある年齢になったらインプットを理由に飲む、つまりインプット馬鹿になってないかということを考える必要があると思うのですね。過去の自分への自戒もこめて。

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