酒やめて、2114日。
昔は「忘年会で酒が飲めるぞお」だったけど……
またぞろ忘年会の季節がやってきました。というよりも、久しぶりに、といった感じでしょうか。あちこちで「今年こそ」という声が上がっているようです。そしてそれにうんざりしている勢力(?)もあります。せっかくコロナで忘年会中止になっていたのにま~た復活かよー、といった具合です。
私もその一味の一人でありまして……というよりも、私はフリーランスで忘年会などそもそも誘われないのですけれども、もしあったとしても行きたくないです。ここではその忘年会についての構造的な問題を考察したいのですが、誘われもしない身分でそんなことをするのもいじましい話ではあります。が、何かの参考になるかもしれないので。
まあそうした私でも、酒を飲んでた時代は、忘年会やろうぜーでした。むしろ積極的に企画していたサイドです。
なぜそうかと言えば、酒が飲めるからです。アル中時代は基本、一人飲みだったのですが、たまにはみんなで飲んで発散したいー! という思いで企画していました。と、ここまででお分かりのように、趣旨がそもそも自己チューでした。
で、今さらのように思うのです。昔の俺みたいなヤツがいる忘年会に、今の俺が参加するとしたらめちゃ嫌だろうなあ、と。
忘年会(をはじめとした集まり事)が嫌だという人は、その方が酒飲む飲まないにかかわらず、一つにはそういうヤツがの存在が嫌だからでしょう。デリカシーもなく騒ぎ、自分が陽キャであることをあからさまにアピールしようとするヤツと肌が合わない人は一定数います。それは(現)私もそうです。
「忘年会嫌だあ~」は構造的問題だったのです
つまり私自身は、今は「行きたくない」という立場であり、昔はその「行きたくない」を創出する立場であった。同じ人間なのにも関わらず。ということは、そのような「迷惑なヤツ」を仕立てていたのは酒、という結論になります。
もともとの性格は陰キャでヒッキーなのに、飲酒習慣があるゆえに陽キャプリテンドして、それが人に嫌悪される(その時は気づきもしませんでしたが)結果になっていたと。
ではなぜ、陽キャプリテンドしたかというと、成功体験ですよ。
私だって、酒飲み始めた頃は、サークルの飲み会なんて行きとーなかった。しかし飲めるようになり、おーいけるクチやんなどと言われ、社会人になってからは、社内報の新人紹介の「趣味」に「飲酒」などと書いたものだから、お誘いも多くなり、そして持前の陰キャゆえに他人様に喜んでもらいたいという思いは人一倍強く、たまーには喜んでいただけるようなことも言え、それがまあ成功体験になった。それまでの人生で成功体験が少なかったゆえに、酒の席で楽しいことが言えただけで、大きな成功体験に感じ(その一億倍大きな成功体験が断酒であることはいつも書いている通りですが)、愚かにもそれで自分が陽キャだと勘違いし、それが高じて、今度は他人様が飲み会に行きたくない要因になり果てた、という構図であります。
今、「忘年会に行きたくない」の要因をつくっている迷惑な人間にしたところで、わりとそういうタイプが多いのかもしれません。ということは、なんというか忘年会というのは、飲酒習慣という砂の上につくられた楼閣だったということにもなり、それが顕在化すればこりゃ廃れていくのもしょうがないなという結論に達するのであります。
で、「忘年会嫌だなあ」の原因になってるヤツだって、酒がむりくりつくり出したプリテンド陽キャかもしれず、なんだ哀れなヤツよの〜と思えば、忘年会嫌いの人も多少は溜飲が下がるのではないでしょうか(そうなのか?)。
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