酒やめて、2146日。
タクシー介護してもらえるから飲めるのです
一昨日、「【悲報!?】僕たちには、老いて飲酒習慣を続ける自由さえない」という記事で、我々世代においては、老後、普通に飲酒習慣が持てるのは特権階級だという話を書きました。「飲酒格差」があるわけですよね。
これは現役時代にも当てはまると思います。私がTwitter上で勝手に断酒仲間認定させていただいてる「ほわ」さんが以下のようなツイートをしていました。
旦那様が、取引先の方に送っていただいたと。その取引先の方は、おそらくほわさんの旦那様の会社から仕事をもらっている方なのでしょう。私も下請け業者の立場ですので、仕事の発注主(昔の上司だったりするが)をタクシー介護したりすることは、コロナ以前は結構ありました。
で、思うのですよ。外で飲んで酔っ払える人は、そのようにきちんとタクシーに乗せてもらえるような人です。そうしてもらえるだけのこと、たとえば仕事を発注などしている、ということですね。ある意味、特権階級なんですよ。それこそ、ちゃんと子どもを育て上げ、資産を築いた高齢者が酒飲み特権階級なのと同じです。
というと、反論が出るかもしれません。俺は飲んでもいつも家までちゃんと帰って来れる! と。私も飲酒時代はそういうことを自慢(?)していました。ただし、これは「犬の脳」が連れて帰ってくれているそうで(参考「そこの飲んだくれの方、「それでも家に帰れている」はエビデンスになりませんよ!」)、人間の脳で対処しなければならない事態には無力です。
いやしかし、外で飲んで酔っ払うと、様々なリスクが伴ってしまいます。私なども、このまま飲み続けていたら、いつか駅のホームや階段から落ちて死ぬなり障害を負うだろうなと考えたことも断酒の動機の一つでした。
ともあれ外で酔っ払うのはデンジャラスであり、それは昔からだったのでしょうが、昨今の治安はじめ諸々の状況からすれば、そのデンジャラス度はどんどん増しています。もう0時過ぎの山手線なんてマジ怖いですからね(参考「電車の車内がデンジャラス。よくぞ数十年生き延びてきたものだと」)。
家飲みだって問題あるよ
余談ながら、私の昔の飲み友は「〇〇(=私のこと)と飲むときだけは俺がしっかりしていなきゃいけないと思っているから酔っ払えない( -`д-´)キリッ」と宣言(?)していたので、そいつと飲むときは私も特権階級だったのかもしれません。
ともあれ冒頭に戻りますが、今は、飲めるのは、タクシー介護してくれる人に仕事を出せる立場にある人だけ、と言ってもいいのではないでしょうか。
まさに銀座などは典型であり、銀座のクラブから電車で帰る人もあまりいないでしょう。
むろん、この帰宅問題は一つの象徴であり、自分が社会的に飲んでいる場合かどうかを考えてみるのは、私の場合、大きな断酒モチベーションになりました。そして、社会的に飲んでもいい人と飲んでる場合じゃない人(たとえば私)は、今後どんどん分化していくでしょう。
家飲みで安く飲めば、という考え方もあると思いますが、中高年の一人家飲みは、外飲みとはまた別の意味でデンジャラスですからねー。
特権階級じゃない人がもし飲むなら、「家で」「誰かと一緒に」「ちょっとだけ」「毎日でなく」が、基本であることは私などが言うまでもないですが、パートナーがもっと飲ませてくれと言った場合は、ここまで書き綴ってきたような「飲酒格差」を踏まえてこう返せばよいと思われます。
酒は貴族の飲み物!
カテゴリ別インデックスページはこちらです。