ウィル・スミス平手打ち事件が示した「人類の分化」。当然、「酒」を媒介にしても起こってます。

酒やめて、1890日。

ウィル・スミス事件における日米の反応の違いとは

ウィル・スミスの平手打ち事件が、いまだにネット上では話題になっていて、いろんな人がいろんなことを言っています。なぜ単なる平手打ち事件が「いろんな」になるかというと、やはり人々の意識や社会構造の変化が問題を複雑化(?)させているからだと思われます。この点について、断酒ブログ視点でも言いたいことがあるので、誰にも頼まれちゃいませんけれどもちょっと書かせていただきます。

事件について一応おさらいしておくと、アカデミー賞受賞式において、プレゼンターのクリス・ロックが、ウィル・スミスの妻で女優のジェイダ・ピンケット・スミスの髪型について揶揄したところ、それが彼女の病気由来のものであったがゆえに夫であるウィル・スミスが怒ってロックを平手打ちしたというものですね。事件自体は単純です。が、ここにジェンダー問題がからんでいます。

ジェンダー視点では、アメリカと日本の反応がまるで違うことが話題となっています。いわくアメリカでは「成人女性は一人の人間であり、男性から守ってもらう存在ではない」、日本では「よくやった、それでこそ男だ」ということですね(まーウィル・スミスのこれまでの役柄からいって、日本のような反応が当たり前にも思えますが)。

ただ、自分の娘のことを考えてみると、たぶんアメリカ型でしょうね。もし同じような目に遭ったら、自分の恋人なり夫なりに、私は私で反撃するからあんたは口出さないで、という態度を取る気がします。娘の友人たちを想像しても、そういうタイプが多いです。そのような教育を受けてきたからです。今の学校という存在は、先進的な考え方を有する女性の先生の影響力が強いですから。

では、以前一緒に住んでいた女性のことを考えてみますと、彼女の場合、なんで私が侮辱を受けてるのにあんた何も言わないのよ何もしないのよ(怒)になるでしょう。

どっちが良い悪いの問題でもないし、どっちが生きやすいかどうかの問題でもないです。当然、世代によっても異なります。ただ、今回の一件における日米の反応の違い、もっと言えば、考え方の「分化」は、世の中の価値観や社会構造が大きく変わってきている、その象徴的な出来事だったような気がします。この場合は「ジェンダー」というものが媒介になっていたわけですよね。

人類は、自分の時間を持てる人と持ちない人に「分化」!?

で、ここからが本題なのですが、このような「分化」は「酒」ということを媒介としても起ころうとしているのではないかと、例によって(?)思うのであります。

むろん、今までだって、飲む人と飲まない人がいました。飲まない場合、「お前、飲まないのか。それだと人生楽しくないだろ」みたいな反応をされたり、あるいは逆に「あなたの旦那さん、飲まないの。そりゃラクでいいわねー、酒飲みはつまみにうるさいから」といった反応の仕方もあったでしょう。ただそれだけの問題だったと思います。

でも今は違いますよね。まあほんとにいつも書いていて恐縮ですが、飲む飲まないという違いは、すなわち、時間がない時間があるという違いになります。で、これが本当に大きな意味を持つようになっている、と。

飲酒習慣があると働いて飲むだけになりがちで、スペアの時間、自分自身のための時間、自分を向上させる時間と言ってもいいと思いますが、それが持てない。これまでだったら、それでよかったのかもしれないけれども、「自分立」で生きていかなきゃいけない時代にあっては、それじゃヤバい。いや、ヤバくないと思っている人はいいんです。ただ、私はヤバいと思っただけで。

ともかく酒やめて、人生ってこんなに時間があったんかあああああ、さあ何やろうかという気分に満ちてきたところが非常に大きな発見です。

私の場合フリーランスですが、たとえどこかに所属して仕事をしていても、自分で自分の将来を保証してくれるシステムを生み出さなければいけない。そのためには、本来の仕事以外の時間が必要であり、その時間を持てるか持ってないかということについて、ついに人類は「分化」し始めた、あなたはどっちを選びますかということで、これはウィル・スミス事件が示した日米の「分化」よりもよっぽど大ごとなのではないか、と。

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