貧乏と飲酒の関係には、ちゃんとしたメカニズム(?)がありました。

酒やめて、2098日。

怒りっぽい人は貧乏になる!?

一昨日、「「貧乏人は酒を飲め」の時代にいよいよ突入しつつありますね。逆説的に」という話を書かせていただきました。この点についてもうちょっと深掘りしてみたいと思います。なぜなら「貧乏」「飲酒」がブログの検索ワードに上がっているので……といったあざとい思惑もあるのですが、もちろん貧乏と飲酒の関係は考察に値するテーマではあります。

むろんことの前提として飲酒習慣があれば酒代や飲み代にお金がかかり、さらに消費性向を大きくしてしまうということがあります。そして一昨日書いた通り、仕事と飲酒だけの人生だと発展性がなく、じり貧になってしまうということも今日的事情としてあるでしょう。

で、その上で、飲酒と貧乏の関係についてのメカニズムのようなものがあると思われるので、その点についてここでは書かせていただきます。キーワードとなるのは「怒り」です。

怒りっぽい人は裕福になれないとは昔から言われていましたが、最近ではこんな記事(参照「怒りっぽい人や正義中毒の人はお金持ちになれない?感情的になると貧乏になる理由」)があり、怒りと貧乏の関係について要領よく解説してくれています。

この記事では、怒りあるいは正義中毒のような独善的な性向は、社会的に成功するためには邪魔になるということを、「認知的複雑性」という言葉を使って解説しています。

著名人の不倫といったスキャンダルに目くじらを立てる人がいますが、当人同士にしかわからない事情があるにもかかわらず、無関係に叩きます。

そういう自分の意見に固執し多様な考え方があることに意識を向けられない人、自分とは違う価値観や言動への許容度が低い人は、柔軟な思考ができないため、ビジネスでもうまくいかない。このようなコラムにいちいち難癖をつける人もそうですね。

一方、富裕層は「認知的複雑性」が高い。だからさまざまなシチュエーションを想定してリスク管理ができるし、多種多様な顧客ニーズも想像できるのです。

(引用前掲記事)

そして、はい、そうです、断酒ブログ的に言えばこれに関わるのが飲酒なのですよ。自分の経験でもまったくそうですが、飲酒習慣があると怒りっぽくなります。そして独善的になります。はっきりとした理由がありますが、これについては最後に書きたいと思います。

飲酒がつくり出す人間性が人を貧乏へと導くのです

自分のことを棚に上げて言えば、いつもなにかに怒ってる人間、文句ばっかり言っている人間、あるいはすべての人にダメ出しするような人間はいますよね。ちょっと上の世代に多いので世代的な性向もあるでしょうが、飲酒習慣も当然絡んでいます。そういう人はだいたい酒飲みです。アル中というよりも(アル中になるともうもはや怒る気力さえなくなりますので)、自称適正飲酒者であり、周りから見るとアル中一歩手前なのかなといった人ですね。

一昨日も書きましたが、そうした輩は俺は飲めるということをことさらにアピールしてくるのでその点でも独善的なのですが、前述のごとく、とにかく何かに付けて文句ばっかり言っています。そして前掲の記事のごとく、たいてい人生、上手くいっていません。

これは酒との絡みで言えば、単純に酒で脳が委縮していることもあるでしょう。さらには酒を飲む自分を正当化したいがゆえに、アル中でないと自分を規定したいがために、それを以てして独善的になる。それが酒以外の分野、たとえば仕事などでも出てくるにだと私は勝手に考えております。

そして仕事中に酒飲んで馘首になるとかそういう極端なことはないにせよ、酒がもたらす人間性の変化は人生を没落させ、当然、貧乏になっていくでしょう。このメカニズム(?)をもってして、飲酒と貧乏との親和性の高さが成立してしまうのですね。自戒自戒。

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