粗食に慣れることと、それによる時短もまた断酒の効用だと思う。

酒やめて、1076日。

飲酒時代の私は、それなりに酒の肴にもこだわっていました。食べ物で何が好きなのと訊かれると、間髪入れず「ふぐ」と言っていました。もちろん、しょっちゅうふぐを食べていたわけではありません。そのように答えるのが飲酒者としてイケていると判断していたのです。馬鹿です。

名門小学校のお受験で「ふぐ」と答えてはいかん

余談ながら名門小学校のお受験の面接で、好きな食べ物はと訊かれてふぐと答えたら、たぶん落ちてしまうでしょう。正解は「お母様がつくったものなら何でも美味しくいただきます」だそうですが、これも今となってはフェミ的にどうなのかなあとは思います。

ふぐといえば、かの北大路魯山人も最高の美味として「海のふぐ、山のわらび」を挙げていましたね。ちなみに飲酒時代の私はわらびも大好きで、自分でアク抜きをするという凝りようでした。ただそのアク抜きに一日まるまるかかるので、早く食べたくて仕方がなかったことを覚えています。

さて酒をやめて以来、そういうこだわりがまったくなくなってしまったのが不思議といえば不思議です。好きな食べ物はと訊かれたら、今だったらたぶん、白い飯に合うおかず能力の高いものと答えるでしょう。

もともと私は、それほど食べ物にこだわる性質ではなかったのかもしれません。思えば子どもの頃から、なんでも美味しく食べていたようにも思います――名門小学校お受験したわけではありませんが(笑)。唯一苦手だったのは給食の八宝菜で、今でも溶けずに固まっている白い片栗粉がトラウマになっていますが、これは誰でもそうでしょう。そんなものは出すなよという話です。

つまり、ですね。食べ物にこだわり出したのは、酒を飲み始めてからなのです。こうしたところにも、酒による脳の支配の一局面があると思います(大げさ?)。

このように食べ物にこだわらないと、もちろん経済的な節約になります。そして大きいのは時間的な節約にもなるということです。食べ物に凝ろうと思うと、自宅でもけっこうな時間をとってしまいます。それこそ、わらびのアク抜きをしたりしていたように。

生活のなかでの「飲む」「食べる」の地位が激しく低下

思えば飲酒時代は、晩酌時間が一日の最大にして唯一のイベントであり、そこに向かってすべてのエネルギーを集中するといった具合でした。だからわらびのアク抜きもできたのでしょう。

その点、今は何でもいいので、用意する時間、食べる時間がめちゃくちゃ短くて済みます。生活のなかでの飲む食べるという行為のプレゼンスがまったく小さくなってしまい、いいことなのか悪いことなのか分かりませんが、時間が生まれるのは確かです。

一般に飲まないと信じられないくらいわさわさと時間が湧いてきますが(参考「酒やめて、アイドルタイム、アイドリングマインドの重要さに気がついた!」)、それにプラスして粗食なのでさらに時間ができます。自由になる時間がめちゃ多く、それだけ人生の可能性が広がった感もあります(大げさ?)。

だからといって粗食をお薦めするわけではありませんが、酒をやめると肉体的には粗食に耐えられる身体、精神的には粗食に意味を見いだす精神になるとは思いますねー。

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