酒やめて、2722日
カイジの地下労働と同じなのだった
日本では、初めて酒を飲むのは高校を卒業して社会に出たら、あるいは大学に入学したら、という通念がありました。むろん法的にはお酒は20歳からで18歳ではNGですし、今はコンプライアンスも厳しく、後で述べるように若者の意識も変化しているので状況は変わってきていますが、少なくとも我々、現ジジイの世代はそうでした。大学に入学した場合、サークルの新歓コンパで、あるいはその練習ということです(今は新歓コンパでの未成年飲酒およびその強制は大学サイドから厳しく取り締まられている)。
それは、受験勉強から解放されてひゃっはーになるという側面もあったし、もっともらしい理由付けして「大人になった証」ということを自分も周囲も口にしていました。そして、自分の判断でなんでもできるという「自由」の象徴として酒があるといった位置づけでした。まあこれがいかに愚かしいことであったかということは、以前にも書かせていただいております(参考「酒飲みながら自由だと叫びつつ、その酒に自由を奪われていた愚」)。
まあほんとにねー、これは矛盾しているのですよ。「自由だから酒を飲む」という思いに対して現実の社会構造は真逆のところにある――。
現実には、酒を口にするということは社会システムの中に組み入れられること、中二病ぽく言えば社会の奴隷になるということの始まりなのですね。この辺はカイジの世界的ではあります。カイジでも、酒を買うたびに地下労働からの脱出から遠のくわけで、それと同じようなことが始まってしまいます。
そして嫌なことがあったら酒を飲むというパターンの人間は、社会というか施政者、あるいはメディアにとっては非常に都合いいとも言えます。
数十年前は自由の象徴として酒があったのに(自分ではそう思っていたのに)、それが奴隷化への道ということがめちゃ遅まきながらわかった。「GEE!」とでも言いたい気分ではあります。まったく神の啓示は皮肉に満ちています。
若者世代は酒を基準にさらに分化!?
その点、今の若い人は本能的にわかっているんだろうなあとは思いますね。それはむろん、時代の雰囲気もあるでしょう。我々の世代の場合、その上の、いわゆる団塊の世代がいろいろやらかしてくれて、酒は自由の象徴的な価値観をしっかり根付かせてくれてましたからねー。その影響を受けてしまった、と。他人のせいにしちゃいかんが。しかしこのあたりは、団塊と同世代であるところのヒッピーが呈示した「マリファナは自由の象徴」とはまたちょっと違っていたと思うのですね。このテーマ(?)については、次回のエントリで考察してみたいとは思います。
ともあれ、今のZ世代は異なってきている。そうした価値観から解放されているというか、解放されなきゃやってられないという社会的状況もあるでしょう。もちろん経済的な問題もあるし、大きいのはやっぱりタイパという概念が浸透していることでしょう。彼ら彼女らはさらっと「酒飲んでると時間がもったいないでしょ」と言ってきますからね(かっこええ!)。
その貴重な時間で、パラレルキャリア形成のための勉強を含めた、将来に対する仕込みをするのでしょう。それが社会の奴隷から抜け出すための近道だと思いますし、ネット上にいろんな情報があるので「自分軸」さえしっかりしていれば、オールドメディアに洗脳されることなく、そのような結論にたどり着けるのかもしれません。
またそうしたなか、やっぱりひゃっほーで「自由だー酒だー」の若者もいるわけで、この辺はほんとに我々の世代以上に分化が進んでいると思いますねー。ジジイ世代としては、飲まずに自分軸で考え行動する若者に日本の行く末をお願いしたいものです。
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