酒をやめると、生き方のプリンシプルがはっきりしてくるよねという話。

酒やめて、2050日。

自制心や忍耐力の総量は決まっているのだ

以前、小田嶋隆さんの著作を引用して「計画的にやった方が、実は人生が「単純化」することにあらためて気づいた断酒者がここにいますよ」という記事を書かせていただきました。人生を単純化したくて酒を飲む、あるいは単純化指向があるがゆえに酒を飲んでしまうのに、結果的にその行為は人生を複雑化してしまうということです。そのカラクリを一言で言えば、酒を飲んでいない短い時間で多くの問題を処理しようとしてしまうからです。だから人生がひっちゃかめっちゃかになる。

私もまさにこの罠にはまっており、ああどうして俺の人生ってごちゃごちゃしてるんやろーと感じておりました。でもその時は、酒がそうさせてるとはまったく考えてもみませんでした。

そして酒をやめてみて気づいたのは、あれほど希求していた「単純化」が実現しているということです。それはタイトル通り、生き方のプリンシプルがはっきりしてくるからです。

そのプリンシプルは何かというと、快適に生きるということです。あるいは消耗しない、というふうに言ってもいいかもしれません。

薬学博士の池谷裕二先生によれば、そもそも自制心や忍耐力というものは、限りあるリソースらしいのですね。つまりこれを用いてできることの量や回数(?)は、人の一生のうちで決まっているのですよ。だから、無駄にそのリソースを使うわけにはいかないのです。

できるだけそういうものをは使わなくていいように生きる。それが私にとっての快適に生きる、坦々と淡々と生きることであり、それを人生のプリンシプルにしております。

快適に過ごすための秘訣は「諦観」です!

このあたりは、各人の置かれた環境や状況によっても違うのでしょうが、ともかく「消耗しない」は非常に大切なのではないでしょうか。そして断酒すると、それが非常にしやすいのですね。

一つは物理的に、嫌な人間と付き合わなくなくて済む。単純に交際範囲が小さくなることもあるでしょうし、私のようなフリーランスの人間であれば、酒飲まないと生活がミニマムになるので嫌な仕事しなくても済むということもあります。

もう一つは精神的な側面で、これもいつも書いていて恐縮ですが、酒やめると(なぜか)「諦観」が生まれるのですね。つまり物事にこだわらなくなる。お釈迦様じゃないけど、すべての苦しみは執着心=こだわりから生まれるわけでありまして、それがなくなれば、いいんだいいんだで、すべてをやり過ごせるので消耗することもないのです。

というわけで、快適に生きることを信条にしている断酒者の日常ではございますが、しかしそれが思わぬ事態に発展してしまうこともあり、それについてはいずれ書きたいと思います。誰にも頼まれていませんけど。

カテゴリ別インデックスページはこちらです。

にほんブログ村 酒ブログ 禁酒・断酒へ
にほんブログ村

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする