酒やめて、1598日。
快適主義者は酒が邪魔!?
新垣結衣さんと星野源さんの結婚のきっかけになったというドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』がAmazonprimeで配信されているので、すこしずつ観ています。で、星野さん演じる主人公のヒラマサさんのメンタリティがなかなか興味深いのです。
ヒラマサさんは、このブログでいうところの典型的な快適主義者のように見えます。快楽主義者ではなく、ですね。自らプロの独身と称し、野心も持たず、人生を穏やかに過ごせればいいというタイプです。新垣さん演じるヒロインのみくりもそのような価値観を持っているように見えます。この辺が、旧世代に属するみくりの叔母さん(石田ゆり子演)やヒラマサの同僚の沼田さん(古田新太演)とはちょっと異なった人物造型のなされ方です。少なくとも私にはそう見えました。
そうした快適主義者のスタイルとして、ヒラマサもみくりもお酒を飲まず、一緒に食事をするシーンでも乾杯なんてないのです。うん、いいぞいいぞと私は個人的には思って観ていました。
ところがですね、今確認したらエピソード7なんですが、なんとお酒を飲むシーンが出てくるのですよ。裏切られた気持ちがしました(身勝手)。ただ、そのお酒というものは、まあ二人の関係が深まっていく象徴というかかなりイレギュラーなかたちで出てきます。
なるほどねーと思いました。ちなみに飲み始めるとき、みくりが今日は土曜日だしお酒どうですかとか言うわけですね。そうすると、ヒラマサもなんかいい笑顔で応えます。
で、いやいやいやいやまったく感慨深いというか、こういう飲み方に憧れますねー。元アル中としては。しかも飲むお酒は、極寒の地で自然に凍った葡萄だけを使うアイスワインときたもんだです。
もし飲むとしたら、アル中飲みしかしたくないのですよ
断酒してしばらく経った人の多くが、再飲酒したいという誘惑にかられて思い浮かべるのは、まさにこういう飲み方ではないでしょうか。そして、もしかしたらこの手の飲み方が自分にもできるんじゃないか、と。じゃないかと、と記したのは、私は絶対無理だからです。
繰り返しますが、私は絶対に絶対に絶対にできません。それはよく言われるところの、一度アル中、あるいは依存症になったらもう脳の回路が出来上がってしまい、それは断酒しようが一生つながったままなので、適度な飲酒はできない、たとえ最初のうちはできたとしても、やがてアル中飲みになってしまう、という理論(?)ともまたちょっと違うのです。いや、その論はおそらく正しいんだと思いますよ。ただ私の場合は少し違っていて、適度な飲酒など、したくないのです。
私がもし再飲酒するとしたら、昔のようにもうとにかくぐでんぐでんになるまで飲み、気がついたら駅のホームで寝ていてときには財布もメガネも時計もない、みたいな飲み方ですね。あるいはどこをどうやって家に帰ったのか覚えてないけれども、そしてこれも覚えてないけれども深夜営業の古着屋で買ったらしい袋がベッドの横にどんと置いてあって、その中に東欧製のムートンが入っていた、夏なのに、みたいな飲み方です。さらにあるいは、ですね、朝から、あてもなく電車(さすがにクロスシート。ロングシートは無理)に乗って、周囲の目を気にもせずにかぱかぱ缶ビールを開け、流れゆく景色に陶然とする、みたいな感じですわ。
それだったらやりたいです。しかし当然のことながらそういうふうな飲み方をすると、先々の人生とトレードすることになります。かなりの確率で。
でもそれしかしたくない( -`д-´)キリッとなれば、現時点では飲まないという選択肢しかないということになります。この辺は人それぞれでしょうけれども、少なくとも私の場合はそうであり、そうした断酒モチベーションもある、ということをここでもう一度、誰に頼まれたわけじゃないけれど確認しておきたい次第であります。