コロナ後の外食飲酒文化について、一つだけはっきりしていることがある!

酒やめて、1762日。

サントリーキャンペーンの意外な波紋

岸田首相の「鎖国令」が話題を呼んでいますが、国内では禁足令が解けて以来、夜の街に人が戻っているようです(と、思ったら早速、オミクロン株が来日しましたが)。私は行ってないので分かりませんが、街の様子をわざわざ知らせてくれる人もいます。大盛況だとか。

そうした中、サントリーが物議を醸しそうなキャンペーンを始めました。ネット上でもそこそこ話題になっています(参照「トラブル解決に「飲み会」推奨? サントリー広告にネット反発「下戸には地獄でしかない」」)。サントリーとしては、飲食店支援の一環でしょう。そして外食飲酒文化復活を祝っているかのようでもあります(下、参照)。

自由に外で飲めるのはとても良いことですし、世の中が動き出した喜びは飲酒者、非飲酒者関係なくあります。断酒者としては、飲んでるよ~と律儀に報告してくださる飲酒者には、どーぞどーぞ好きなだけ飲んでくださいよ、てなところです(笑)。

ただ、そうしたなかで一つだけ変わったのは、行きたくない飲み会に対する不参加権が確たるものになったことではないでしょうか。そこがビフォアコロナとアフターコロナの違いであり、サントリーのキャンペーンに対する違和感が噴出した理由の一つでもあるのでしょう。

この点について、アル中→断酒者の立場からさらに深く(?)考察してみたいと思います。誰にも頼まれていませんけれども。

ただし、このことについて断酒者視点で考えるのはなかなか面白く、また意義あることかもしれません。というのは、断酒者あるいは非飲酒者の視点が、普通にお酒を飲む人にも一般的になりつつあるような気もするからです。

そのことを検証(?)するために、自分の飲酒時代を考えてみたいと思います。

酒飲み時代は、酒飲む相手は誰でもよかったのです。あまり気が進まない相手でも、酒さえあれば一緒にいれたわけですよ。そこそこコミュニケーションができていました。ですから酒が主、相手が従ですよね。酒好きであれば、あまり気が進まない会社の飲み会でも参加できる理由はこの辺にあるかもしれません。ただし、これはまったくの「酒飲みの理屈」です。

あまり酒が好きでない人にとっては、気の進まない相手との飲み会は地獄でしょう。そして、酒をやめてそのあたりの気持ちが私にも非常によくわかるようになったのです。何を今さら、ではありますが(苦笑)。

酒飲めれば誰でもいいわけじゃない!?

重要なのは、繰り返しますが、この断酒者視点、非飲酒者視点が、コロナ禍を経て社会的通念になりつつある、ということです。誰もがこれを権利行使できるようになった、と。単に飲み会が嫌、というだけでなく、メンバーが嫌なら別に断ってもいいという社会通念が生まれた、と言っていいのではないでしょうか。

なんて、そんなことはお前に言われなくてもわかっとるわと言われればそれまでですが、なんというか、サントリーのキャンペーンの反応を見て確信した次第です。

私のことを言えば、昔の友人などが相手だと楽しいですから、コロナ前はどんどん出かけていました。また、もう酒を飲まなくてもいいよといった人間(もともと好きじゃなかったけど、社会的に飲まざるを得なかった人間)も周囲にわりといますので、そうしたやつとは、おっさん同士デニーズでケーキ&ドリンクバーで何時間も話してたり、先日は、おっさん二人で鮨屋のカウンターに座って「飲まない人仕様のおまかせで」とオーダーしたりもしました(それにしても鮨屋のお茶飲み放題はすばらしいシステムですね!)。

一緒に鮨屋に行った友人の場合、学生時代からあまり飲めず、それでもビール瓶持って「重いんだよお」とか超絶くだらねーこと言ってる糞みたいな先輩から無理やり注がれていて(それを横で私は傍観していた)、就職してからも、嫌々飲み会に参加していたりしていたらしいです。それが、ようやく偉くなったのか閑職に就いたのか、飲まなくてもよくなったということです。数十年かけて「嫌な飲み会は行かない」権利を獲得したのですね。

その数十年かけて獲得する(?)権利を、コロナ禍を文字通りの奇貨として、多くのあんまり酒好きじゃない人が、あっという間に獲得したわけですねー。ある意味、恵まれているのかもしれません。もちろんこれから酒やめようという人も。

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