アル中かアル中じゃないかはそんなに大きな問題じゃない。問題は、といえば。

酒やめて、1910日。

problem

「健康診断の結果はオーケー」だから飲める!?

先日、親族の会合があったのですが、私の妹夫婦はまあよく飲みます。彼らの息子であるところの私の甥が――こいつも大酒飲みなのですが、「あの人たち、マジよく飲むわ。大丈夫かいな」と心配するほどです。それに対する反応は当然ながら「おまゆー」でしたが、ほかには「健康診断の結果はオーケー」「仕事に影響するような飲み方はしない」といったものもありました。

これってねー、アル中アル依各位、あるいはそこから脱出された方はよくわかっていると思いますが、まあアル中に片足突っ込んでますわな。アル中が否認の病気ということはよく知られていますが、典型的な症状です。別に実害がないのでほっときますけれども。

いや、実害をもたらす輩も別にいて、このブログにもよく出てくる自称適正飲酒者です。なにせ断酒者に対して、お前はもう飲めないけど俺は飲んでいいと謎のアピールしてきますんで(苦笑)。これは「実害」と言ってもいいでしょう。

ただし「適正」なんてものはないということもたびたび触れています。少なくとも脳にとっては一滴でもヤバい、と。その証拠が「否認」や「謎のアピール」なのでしょう。

ともあれ、断酒大先輩の小田嶋隆さんも言っていますが、飲む量は関係なく、だから「健康診断の結果はオーケー」「仕事に影響するような飲み方はしない」も関係なく、飲酒を生活の中に組み入れているか組み入れてないか、ということになります。本当の適正飲酒者は機会飲酒者だけなんでしょう。

ところで小田嶋先生ですが、『BUNKAタブー』の連載「電波品評会」が今号から休載になってました。その前号で編集部のことを「腐れ冷笑気取り」だの「底辺のゴミ」だの書いていたので、すわっと思いましたが、入院されたようですね。もちろん酒じゃないでしょうけど。これで同誌を読む楽しみは、小田原ドラゴン先生の「うだつのあがらない生活」だけになってしまった(悲

飲酒前提の生活ができるのは限られた人?

話を戻せば、そして繰り返せば「健康診断の結果はオーケー」「仕事に影響するような飲み方はしない」はまったくその通りだと思いますが、それとは関係なく、飲酒を生活に組み入れてるかどうか、ということが、余計なお世話ながら問題ではないかと。

昔は――日本が豊かであり、終身雇用や年金制度がちゃんと機能していた時代は、酒を飲むことを前提として生活を組み立てられる人はかなりの数いた……というか大部分ではなかったかと思うんですよ。実際に飲む飲まないは別にして。だからたとえアル中アル依、グレーゾーンだったりしても、ピンクの象が見えたり、誰かの自分に対する悪口がいつも聞こえてたりとか、そういうことじゃない限り大丈夫だった。潜在的なアル中アル依の人は「否認」や「謎のアピール」をしながらでも生きていけたのです。

もちろん今もそういう人はいるでしょう。その辺は、資産とか将来的な仕事の見込みだとかもう社会的責任が終わっているどうかだとかいろんな状況が絡み合って決まるのでして、それを判断するのは自分になります。

そしてほんとに怖いのは、酒さんはその判断をさせないようにする。ということですよね。

俺は飲んでもいいのだろうか飲んでる場合じゃないのだろうかとりあえず飲んでから考えよう、になる。で、結局、考えない。昔の私がまったくそうでした(苦笑)。

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