酒やめて生まれる「時間」が、プレッシャーを軽減してくれるのだという話。

酒やめて、2666日

「対人」はなかなか荷が重いものです

先週、今週と出張続きで、いろんなところで人に話を聞くという仕事をしているのですが、これがねー、コミュ障気味の私には結構プレッシャーがかかるものでして、いや、会ってしまえば非常に有意義ですし、勉強させられることばかりなのですが、会うまでがねー、逃げ出したい気分になったりもします。「対人」というのはそれだけでもプレッシャーなのに、そこでなんらかの成果を上げんといかんとなるとなおさらではあります。

以前、「遠い昔、酒で教壇を去った先生のこと」といった話を書かせていただきましたが、学校の先生も大変だと思いますよ。毎度毎度、教壇で「対人」し、成果が求められるのですから。だからこの記事で取り上げた、私の昔の担任の先生がアル中になるのもわかるというものです。まさに、酒でも飲まなきゃやってられねー、という状況だったのでしょう。

また「会社に行く」というのも、テンション上げなきゃとてもできるようなものではないと推測しますし、「あの朝、見かけた「ご同輩」たちは今どうしているのだろう。余計なお世話ながら」となってしまう人がいるのもわかるというものです。ハードボイルド小説の書き方を真似するならば「心の底に残ったわずかばかりの勇気を取り出して」行くということになるのでしょう。

そしてそういう心持ちは、飲酒習慣が深まるにつれ拡大していきます。ホントにいつも書いていて恐縮ですが、それは酒さんの戦略なのですね。勇気をどんどん奪っていって、そして最後に残った勇気を振り絞るために「わいが必要やろ」と囁きかけてくる。

時間を使って準備すればラクになります

さて、「対人」仕事の話でありました。

酒をやめた今でも、むろんコミュ障気味のこととて「対人」仕事は苦手なのですが、ただし対処法を見つけたことも事実であり、むろんそれは断酒に裏付けられています。

て、これもねー、普通の人は普通にやっていることであり、こんなジジイになって「対処法」もなにもあったもんじゃないのですが、勇気を振り絞って書かせていただくと(酒でも飲まなきゃの気分にはさすがにならんが)、「準備をしっかりする」ということですね。

誰かに会って話を聞くとき、それなり成果を上げようと思えば、その人となりについて、当然ながら事前によく知っておく必要があります。著作などがある人ならば、「先生は著作でこのようなご慧眼を披露されていましたが(ヨイショッ、と)」と言うと喜んでくださり話が弾みます。もっとも私の場合、kindle unlimitedで読める本に限って、なのですが(そこはフリーランスなのでコスパを考えないといかん)。学者の場合だと、ネット上にアップされている論文を検索して一応、目を通しておきます。

ちなみにうちの娘の夫になる人のお兄さんは学校の先生で、検索したら論文がヒットしたので読んでおき、両家顔合わせのときに話題にしたら大変喜んでくれて、元妻も「ふん、こいつでもたまには役に立つんだな」という顔をしていたので、数少ない成功体験になったのでした。

とまあ、こんなことは「当たり前」の範疇であり、今さら感満載なのですが、こと私の場合、酒やめて初めてできるようになり、それは当然、時間があるからです。

これも今さらですが、酒やめると時間がわさわさ湧いてきますので、その時間の一部を使って「準備」をする。そしてその準備による成功体験が「対人」のプレッシャーを軽減させてくれ、だから「酒でも飲まなきゃやってられねー」から離れることができる。

そんな真実にあらためて思い至っている断酒erであります。

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