酒飲まずに「なるかならんかわからん」ことができるかどうかで決まるよね、という話。

酒やめて、2386日

obon

「ちゃんと仕事している」で威張るなよー

あー、やっとお盆が終わりましたね。酒やめて以来、盆と正月がすっかり嫌い……というと語弊があるのですが、わずらわしく感じるようになりました(仏様には申し訳ないが)。というのは、やはり日常が心地よくて、このような世間一般がイベント的に浮かれる盛り上がるタームは、自分のその心地よい日常を乱すもののように思えるからです(超絶身勝手)。

私のような者でも会合みたいなものへのお誘いがあって、それもわずらわしいです。でもって、そうしたときに飲酒者から語られるのは、「仕事もきちっとやっている。だからお盆くらいはゆっくり飲む」みたいなことです。

それは「お盆にかこつけて」であり罪がないちゃないのですが、恒常的に「俺はきちんと仕事をしているんだから飲めるんだお前と違って( -`д-´)キリッ」でマウントを取り、自分の精神の均衡を図ろうとしている人もいます。まあ、これは特殊ケースですけれども。

ともあれ、前者も含めて、そうした人間に接するたびに違うんだよなあと思ってしまうのです。超絶余計なお世話ながら。

違和感の正体(?)は、飲むにあたって「仕事」を持ち出していることです。だってちゃんと仕事をするのは社会人として当然でしょう。私の場合、その「当然」ができなくなってしまったので酒をやめようということになったのですが、とにかく「仕事しているから酒飲める」を、さも宇宙の真理のようにアピールされると違和感ありありなのですよ。

「ちゃんと仕事してる」は飲む理由にならんよ~

今は本業の仕事だけきっちりやっていても、若い人なら満足な収入を得られなかったり、我々世代であれば、老後に備えられなかったりという現実があります。

国も死ぬまで働けと言っていてそのような社会構造になっていますが、死ぬまで働きたくない場合、今、「ちゃんと仕事している」だけでは、ままならんですよ。だからこそ「仕事している」は酒飲んでいい理由にはならんと思います。

飲まずに将来の仕込みをする時間を確保することは、すべての人に課せられた人生の課題かもしれないということはいつも書かせていただいているのですけれども、その「仕込み」ってなるかならんかわからんことじゃないですか。試行錯誤と言ってもいい。仕事と違って、すぐにお金が発生するのでもない。でも、しなければいけない。

そして、そうした「なるかならんかわからんこと」に、エネルギーと時間を使って取り組めるかそうでないかが、酒飲む飲まないを決めるポイントなのかなあとも思ったりもするんですよ。私の場合、そういうことがまるで出来ませんでしたから。

お盆のような人生の休暇は、これをやる大チャンスなのに、それを酒とテレビなどで埋める、あるいは必要かどうかわからない会合などで飲み過ぎて、その後、ぐだあ~となるのはあまりにももったいないなあと考えたお盆なのでありました。返す返すも余計なお世話ながら、自戒を込めて。

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