横にいる人が飲んでるからといって、自分が飲んでいい理由にはならないご時世ですねー。

酒やめて、2698日

他者の飲酒(に対する批判)を話題にする輩

世の中には、相手の関心を惹こうとするため、そこまではいかなくても座持ちを良くするために、そこにいない他者の話題――主に軽い批判的なことを持ち出す人間が一定数いるように思います。あまり品の良い行為とは言えず、女子高生ならわからなくもないけれども、いい齢をしたおっさんがそのようなことをするのはダサい感満載ですよね。しかし、いい齢をしているからこそ、ということも言えると思われ、それまでの人生においてそうしたことが通用したある種の成功体験を有しているからなのでしょう。

私の周りにもそういう行為に及ぶ輩がいて、よく話題(?)にするのがあいつは酒の飲みすぎで脳が劣化しているといったことです(私などは面と向かって言っていたので、いないところではその百倍も吹聴していたのでしょう――事実ではあるのだが)。

一方、ご本人は自分のことを適正に飲んでいると無駄にアピールしているので、それを正当化するためということもあるのでしょう。「あいつとは違う」というわけです。その場にいない他者の話題のテーマ(?)が飲酒になるのは、酒さんがそのように仕向けているとも言えます。

ただ、このように他者の飲み方をやり玉に挙げる輩が貧乏からかしていて、やり玉に挙げられた人間が結構資産持ちだったりするケースもあります。資産があり、この先安泰であれば、酒飲みすぎで脳が劣化ていしようが関係ないわけじゃないですか。定年後すぐに朝飲みできていた年金リッチ世代と同様だとも言えます(ただし老人ホームに入る際には飲酒癖や大量飲酒による認知症などが問題になる)。

したがって「あいつ」が資産家である場合、俺はあいつほどじゃない、だから飲んでいいんだと主張するご本人が飲んでいい理由にはなりません。主張するご本人が貧困だったりすると滑稽ですらあります。

滑稽を通り越した事態が出来している格差社会

といった具合に、飲んでいいのか飲んでいる場合じゃないのかは、格差社会になった現在の日本においては、自分の社会的な立場などいや将来的な見込みなどを鑑みて判断すべきことですよね。このブログでいつも書かせていただいてて恐縮ですが。

確かに一億総中流と言われた時代の日本であれば、みんなが飲んでいるからということも、飲む理由足り得たと思います。あるいは健康状態などを基準にする場合、むろん健康状態は人それぞれ違いますが、ただ若い時は基本的にはみんな健康で齢をとるにつれてだんだん支障が出てくるのが人間の標準なので、若いうちであれば、みんなが飲んでいるということも一つの目安になっていたと思います。

ところが今や、同じような仕事をしていて――たとえば同じ組織でデスクを並べていて、そしてその組織の健康診断で各種数値が同じだったとしても、やっぱり格差があるわけですよ。親の財産もそうかもしれませんし、積み立て投資などで順調に資産を増やしているか否かということもあるでしょう。

冒頭の話に戻れば、借金があって税金の支払いもままならない人間が、億単位の資産がある(たぶん)人間のことを、「あいつは飲みすぎで脳が劣化している(その点、俺は適正に飲んでいる)」と嗤ったりしているのだから、滑稽を通り越してこれは神の皮肉ではないかと。

そうした状況を断酒erとしては圏外から、生暖かく見守る次第でございます(性格悪い)。

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