酒やめて、2252日。
旅行オタは15分あれば観光(=経験)する!?
一昨日、「「作業量しか勝たん」時代において、飲酒ってどうなのよという話」という話を書かせていただきました。取り上げた西園寺チャンネルを主宰する西園寺さんの口癖というか信条(?)は、「旅行オタは15分あったら観光しますから」です。つまり「経験に対して貪欲」なのですね。
今は「経験」というものの価値がめちゃ高まっていて、それは非認知能力を育てるという側面もありますが、もっと直截に、それを発信して「飯のタネ」にすることができるわけですよね。そういう社会インフラができあがっている。
その「経験」と酒は徹底的に相性が悪いことはいつも書かせていただいています。またその経験を「飯のタネ」に変換する「作業量」とも、これまた徹底的に相性が悪いことを一昨日書かせていただいた次第です。
で、この「経験」「作業量」と酒は、なぜ相性が悪いのか。ということを、本日はテーマ(?)にしたいのです。
むろん、酒の時間奪取能力は半端ないですし、さらに経済力も奪いますから、物理的に相性が悪いということは大前提としてありますが、言いたいのはその先であります。
「面倒くさい」「勇気が出ない」「テンション上がらん」は酒さんに仕向けられていた!
要するに飲酒習慣があると、体質的に「さぼらー」になる。これはまったくもって経験則的にそうです。
つまり無駄な労力を使うのが、徹底的に嫌になるのですよ。むろん、酒を飲んでいないときも、です。これも、酒さんによる人格魔改造の一環(?)でしょう。
上手くいえないのですが、エネルギーをめちゃ出し惜しみするようになるのです。繰り返しますが、それは酒を飲んでいないときも、であり、したがって「さぼらー」体質が人生を覆っていました。
もう中二病の「たりぃな」や「私ってば低血圧でえー」と同じですよ。いや、こうした態度はある意味、通過儀礼的な要素もあるのでしょうが、いい齢したおっさんがやっていてはまったく洒落になりません。
でも飲んでいた時代は、「たりぃな」が人生を覆っているという自覚はないんです。ただ、すべてのマターに対峙するにあたって「面倒くさい」が先に来ていたのです。そしてこの「面倒くさい」はやがて「勇気が出ない」「テンション上がらん」になり、「気付けに酒でも飲むか」になりますので、酒さんの戦略ですよね。
ともあれ、自分ではすべてにわたって「面倒くさい」ベースであっても、それが普通だと思っていた。これは酒飲んでいない時代に「中二病的態度」でいきがっていたせいかもしれません。ともかくそれでいいと思っていた。
が、酒やめて、そうじゃなくなったから驚きであります。なんというか、どんなことでもそれを実行するのが嫌じゃなくなったんです(参考「酒やめて、「どうしてもやりたくないこと」がなくなった」)。やればやったでほんのちょっとでもドーパミンが出ることに気づいたせいかもしれません。逆にいうと、酒の、飲酒以外の行為によるドーパミン噴出封印効果は、アテナの封印@聖闘士星矢並みですよ。
でもって、その延長線上として、西園寺さんの「旅行オタは15分あったら観光しますから」にまで共感できるようになっているのだから、まったく変われば変わるもんだと思う次第です。超絶遅すぎなのが残念ですが(泣)。
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