「ジン横丁」に描かれた18世紀のイギリスに、今の日本があまりにも似てきていてヤバいんじゃないかという件。

酒やめて、1088日。

階段にいる娼婦の足には梅毒の腫れものがあり、赤ん坊を落としても気づかない。そばには骸骨のような兵士。誰も身なりには気を使わないので理髪店主は首吊り。金貸しと葬儀屋と酒屋だけが繁栄。画像はWikipediaより

「ジン横丁」という、アル中業界(?)では有名な絵があります。一般的にはドイツ文学者の中野京子さんの著作『怖い絵』で有名になったようです。

ジンは悪魔の発明だった!?

いやしかし、本当に怖い絵です。中野さんの本から一部引用します。

「地獄はこの世にある」という言葉に思わず頷きたくなる、これは恐ろしい絵だ。

十八世紀半ばの、ロンドンはイーストエンド。

「囲い込み」政策で土地を失った農民や、自国に居場所をなくして流れてきた外国人などがひしめきあい、その日暮らしを送る都会の吹き溜まり。

荒廃したこの貧民街で、彼らは安酒のジンをあおり、正体を失う。

この本を読んでみてわかるのは、ジンという飲み物の特殊性です。というのは、この「ジン横丁」は「ビール街」という絵と対比されて描かれているのです。ぶっちゃけビールは裕福で充実した人生を送る人の飲み物、ジンは明日の希望もない貧乏人の飲み物という位置づけがなされています。

この当時、なぜ人はジンに走ったのか。ひとつには、当然ながら安いからです。ジンはそもそもは薬物として「発明された」酒でした。きわめて工業用アルコールに近い存在だったのですね(むろん今のジンとは別物)。簡単に誰でも酔えるようになり「一ペニーでほろ酔い、二ペンスで泥酔可能」と言われたそうです。この絵に風刺された18世紀半ばの一ペニーは調べてみると――昔の貨幣価値を今と比べる場合、基準をどうとるかで大幅に異なってくるので難しいのですが――ざっくり300円くらいではないでしょうか。まさに「せんべろ」ならぬ「ひゃくべろ」です。

非正規という囲みこみ運動が現実に起こってるじゃないか!

中野さんも指摘していますが、このジンの大ブームは貧困と結びついています。つまりジンが人生の楽しみのすべてとなっています。その行き先が地獄であっても。

人間はどうやら、絶望的な世相、状況の中で酒に光明を見いだすようです。そしてその酒がさらに絶望へ連れて行ってくれるという理屈です。私にも経験がありますが、酒に溺れるとデスペレートな気分でもうどうにでもなれーとなり、そして過飲酒が、その「どうにでもなれー」な現実の状況をさらに悪化させます。

で、もうどうにでもなれーが許されればそれでいいんですよ。でも、まあ普通は許されないですよね。少なくとも家族がいたりするとそうはいかないし、家族がいなくても、人生になんらかの野望と希望を持っていればできない。それでも、どうにでもなれーサイドに引きずり込もうとするのが酒の怖いところです。

そしてさらに怖いのは、この「ジン横丁」で描かれている世相が、今の日本にすごくよく似ていることです。なぜ当時、人々が貧困に陥り、それゆえにジンに走ったかといえば、囲い込み運動によって農村を追われ都市に出てきたものの仕事もなく……、という状況があったからです。で、今の日本も、過大な社会保障費負担を嫌った企業が正規雇用のパイを小さくして、その結果、多くの人が非正規に囲い込まれている、という状況があります。そしてこの後、さらにイギリスの貧困層は産業革命にさらされ「機械に仕事を奪われる」のですが、日本にもまもなくAI革命がやってきて人々の雇用を奪っていくと予想されています。

「ジン横丁」に描かれた人々は、社会の変革に翻弄された人です。そして私たちも今、変革の時代に生きている。それに対応できずに酒に走るという「ジン横丁」な生き方もあるちゃありですが、それに立ち向かうとしたら、一番の手立ては「断酒」ではないかと。私の場合、そう信じているから、断酒を続けられています。皆さんもご一緒にいかがですか。

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