酒やめて、1702日。
NHKは固定費のラスボスか!?
自民党総裁選が終わりました。個人的には高市早苗氏になってほしかったですね。というのはNHK問題に切り込んでくれるという期待があったからです。
NHKの何が問題だって、やっぱり強制徴収に近いかたちであることでしょう。それをさらに強化しようという方向に今、進んでいますよね。ここのところをぜひ、イシュー化(?)してほしいのです(岸田さんにも期待しとります!)。
とにかく全世帯から取るみたいなことが言われていて、じゃあもう税金で運営して二千万近いと言われるNHK職員の年収も公務員並みにすればいいじゃないかという議論はもっともだと思います。
で、強制徴収に近いというのは、テレビを持ってなかったとしても、住んでいるのがマンションでそこに回線が来ていれば支払い義務が発生することも含まれます。今はBS回線が来ているところがほとんどだと思いますが、そういうところではBS料金も発生するのです(グレーゾーンかもしれないが、少なくとも私が以前借りていた仕事場マンションに来たNHKはそう言ってた)。今、若い人はテレビを持ってなく、なおかつBS回線が来ているマンションに住んでいるケースが多いと思いますが、そうした実態にまったく合っていません。が、言われるがままに払っている人も多いでしょう。
余談ながらそうしたことよりもさらに大きな問題なのは、NHKという、きわめて中国と親しいように見える組織(しかも政府の言うことを聞かない)が、ほとんどすべての家庭の住所と銀行口座を把握しているということだと思いますけれどもねー。契約者名簿を取材に使ったなんて話も暴露されていましたし(参照「元記者の告白 NHKの「タクシー私的利用」と「受信料名簿のあり得ない使われ方」」。ただこれは氷山の一角でしょう)、剣呑な話ですよ。
それはともかく今、世の中、もう絶対的な固定費を払う余裕なんてみんななくなってるんです。ですから菅首相の携帯電話改革というのは非常に意義があったと思います。
話があちこち飛んで申し訳ありませんが、私の場合、もうずいぶん前から格安SIMにしていたのですが、昨年から切り替える人がぐっと増えたように思います。もう当たり前になったわけです。ちょっと前まではみんなスマホに月1万円くらい払っていたのに、今や、それが信じられない時代になったのはすごいことだと思います。世の中なんてあっという間に変わります。
そんなふうに、世の中から「固定費」というものがどんどん消えていきます。家計費節約のプロの横山光昭先生(一度仕事でお会いしたことがありますが、めちゃ爽やかな方でした)も以前から「携帯と保険の見直し」ということを口酸っぱく言ってました。そして余ったお金で少しずつでも投資を始めようというのが、先生の昔からの主張の一つです。この「余ったお金」という概念が今、非常に重要なのではないかと思います。
繰り返しますが、固定費というものがどんどんシュリンクしています。税金や社会保障費も固定費だと言いますけれども、これらは所得が少なくなれば安くなりますし、年金は固定費ですが、これは貯金と考えればいいでしょう。「所得から控除される貯金」ですから、機能している限り非常におトクではあります。
ともあれ絶対的な固定費というのが、家賃(住宅ローン)と光熱費を除けば、携帯とNHKぐらいだったのが、菅首相肝入りの携帯電話改革でその一鶴が崩れたわけですよ(「無駄な保険」の排除も、かなりの人が実践しはじめていますし)。ですから後はNHKだけだなあと思っています。と、そんなことお前に言われなくてもわかっているという声が聞こえそうですが、言いたいのはここから先であります。
「固定費」が人生潰す時代にあって、酒はどうなのよ?
固定費ということを一つの物差しとして考えたとき、昭和から、平成でも小泉改革の時代ぐらいまでは違っていました。住宅ローン(家賃)を払い、車のローンを払い、子どもの学費を払い(これも今や公立高校無償化や私立高校も東京都の場合、世帯年収910万円まで実質無償になるなど、脱固定費化しつつあります)、そして高額な保険を払い、携帯代や固定電話代を払いといったかたちでした。家計における固定費の比率が非常に大きかったと思われます。
こうしたモデルは、何らかのかたちで将来が保障される社会であれば機能すると思います。固定費を払っていること自体が、将来を担保していたとも言えます。
でもご存知の通り今は違いますよね。将来的な保証が何もなくなっている中で、自分で何かするということが非常に重要であり、その原資として自由になるお金が必要だということです。固定費に圧迫された家計というのは、まったくもってアウトオブデイトになっているのです。そしてその固定費がどんどんシュリンクしているなか、ラスボスとしてNHK受信料が君臨(?)しているという構造かもしれません。
繰り返しますが世の中、絶対的な固定費をどんどん少なくしていこうという方向に進んでいます。これは世の中全体が貧乏になったからということもあるのでしょうけれども、それ以上に自由に使えるお金は自分の判断で使っていこう、そしてFIREに代表されるように自分の将来の面倒は自分でみようということをみんなが意識している、意識実行せざる得ない世の中になっているのです。
ところがですね、ラスボスのNHKに匹敵する、いや、額からすればそんなの問題にならないくらいの巨額になる固定費があって、それは酒、ですよねー(苦笑)。以前も書かせていただきましたが(参考「いくら安く飲めるからといって酒は「固定費」になってしまうから怖いのだ」)、酒代は「お父さんそれは太郎の給食費なのよ持っていっちゃらめええええええ!」みたいなレベルで絶対的な固定費になってしまうのが、ものすごく怖いのです。
酒という強力かつ悪質な固定費があると、当然ながら他のことがまったくできなくなる。勉強チャンスも経験チャンスもつぶれます。これまではそれは個人の問題だったかもしれない。でも今は、勉強チャンス経験チャンスを得ることこそ人生を開いていく……というよりも、そういうふうにしていかざるを得ない社会構造になっています(思えば昔は幸せでしたよ)。そうである以上、酒という固定費を減らす意味と意義が限りなく大きくなっているのではないかと考える次第です。
で、ここまで書いて来てハタと思ったのですが(これがブログを書くことのよさなのかも)、「固定費」を「固定時間」と置き換えても同じことが言えますよね。