酒やめて、1181日。
みんながキラキラしていた時代があったのだ
村上龍の小説に『テニスボーイの憂鬱』という作品があり、その中に非常に印象的なフレーズが出てきます。
シャンパンの泡のようにキラキラ輝いて生きていたい
これは主人公の恋人のセリフですが、読んだ当時は、まったくもって「わかるわかる」でしたねー、やっぱり。
当時、私は大学生でしたが、大学生といえば人生の中でやっぱり一番キラキラ……というのは男子学生的には変ですけど、まあそういう時ではありますよね。今は大学時代といえども卒業後のためにしっかり準備をしなければいけないタームなので、若干事情は異なっているかもしれませんが、私たちの時代は文系の場合、基本的には遊んでれば良いといった感じでした。
ですからやっぱりキラキラ感(笑)は、自分なりに半端なかったと思います。
そして時はバブルへ向かおうという時代ですから、日本全体がキラキラ輝いていたというふうにも言えます。まさに「バブル」という言葉とシャンパンの泡のキラキラが被っていましたね。今考えればですけど。
私はそうした雰囲気の中で青春を過ごしてしまったので、キラキラ信仰みたいなのがずっとあり、それに人生を支配されてしまったのかなという気がしなくもありません。つまりシャンパンの泡のようにキラキラ生きていくことを至上の価値にしてしまったが故に、人生いろいろ間違ってしまったのかなあと、今、遅まきながら考えている次第です。まあ、ホンモノの馬鹿ですわ。
馬鹿だけれども、キラキラ輝いた人生を送りたいからキラキラ輝いたシャンパンのような酒を飲みたかった。あるいは逆に、自分の人生が輝けていないので、そのギャップを埋めるためにシャンパンを飲んでいた。シャンパンの泡の中に自分の人生を託してそこだけはキラキラさていたかったわけですね(笑)。やっぱり馬鹿です。
実際にシャンパンは大好きで、とはいえもちろん経済的な事情もあるので飲むのは主にカヴァでしたけれども、よく一本開けてました。
酒やめて気づいた、人生なんてキラキラしてない←馬鹿
で、酒をやめて思うのは、当然ながら人生なんてキラキラしたもんじゃないということです。本当に今頃気づいたのかという話ですけれども(笑)。
結局のところ、自分の人生に対する期待値が高すぎたんですよ。そして繰り返しますがその期待値と現実のギャップを埋めるために飲んでた。でも今思うのは、キラキラしてなくてもいい、もっと地に足がつけて生きろ、という当たり前の真実ですね(笑)。
そういうことを受け入れれば、それはそれで心の安定が得られるということなのかなあと感じています。これもまた酒やめなければ気がつかなかったことですね。
で、今、「シャンパンの泡のようにキラキラ輝いて生きていたい」に対比して思うことがあります。
人間の人生には、その人にふさわしいことしか起こらない