酒やめて、1257日。
『万引き家族』は高潔すぎるやろ~
遅ればせながら話題になった映画『万引き家族』をDVDで観ました。いやーしかし、最初に思ったのは、今や「下流」って優良コンテンツなんやなあということです。
韓国映画『パラサイト』もそうですけど、一つのテーマになっていますよね。万人を魅了すると言ったら変ですけれども、ジャンルとして確立してきているような感があります。
下流をコンテンツ化したのはおそらく三浦展さんでしょう。彼がやったのは、日本社会の問題点を指摘する、問題点を洗い出しするということではなく、まさにコンテンツ化でした。でもそれは見下してやろうとかそういうことでもなくて、なんというんでしょうね、その心地よさを共有しようみたいなところがあった、と、少なくとも私はそのように受け止めました。そんなに多くの著作を読んだわけではないですけれども。
『万引き家族』もなんとなくそんな文脈で観てしまいました。
まあもともと「ファンタジーである」みたいな批評はありましたよね。私もそれは感じました。だいたいリリー・フランキーさん演じるお父さんにしても安藤サクラさん演じるお母さんにしても、心が高潔すぎますよ。安藤お母さんにいたっては、男前ですらあります。
これはやはり是枝監督といえども「名もなく貧しく美しく」といった一昔前のドラマツルギーから脱してないのかなあとも思いました。まあ個人的な感想ですけど。
しかしながら自分のことを考えても、私の周りの人のことを考えても、貧困は人格を毀損します。これは事実だと思います。要はお金がないと性格が悪くなるってことですよ、ぶっちゃけ。
社会が貧乏になっても、それに合わせたアミューズが出現!?
さて『万引き家族』がシリアスドラマとしてだけではなく、エンタメとして成立している、つまり楽しく観れてしまう点が、日本全体が下流オリエンテッドになってる証拠という気もします。そしてまあお察しの通り、その象徴がストロングゼロというわけです。
だから余談ながら、『万引き家族』でビール飲んでいるところで、これは下流の話じゃないな、と元アル中としては判断してしまうんですよ(笑)。ここはやっぱりストゼロじゃなくてもいいから缶チューハイでしょ、と思います。
もっと言えば……、ですね、日本映画のなかの小物の扱いってわりにずさんですよね。たとえば高級ワインという触れ込みのワインのボトルがあきらかにボルドーなどの地方名ワインだったり、あるいは、お金持ちという触れ込みでポルシェに乗らせているのに、それが貧乏人の911と言われている(失礼!)996型だったり、とかです。故伊丹十三監督は、そういうことが許せなくて、小物に自分の私物を使ったりしたといいます。
それはともかく、下流のアイコン、ストロングゼロです。
日本人が、というか日本社会がすごいなあと思うのは、だんだん日本全体が貧乏になってくると、それに適応したアミューズを提供できるということですよね。つまり税制でビールが高いとなると発泡酒を発明し、さらにそれにも不当に(?)課税されるようになると今度はすぐに高アルコール度数のRTDチューハイを発明し、それを超安価で提供するといった具合です。ストロングゼロ文学なんてよく言われますけれども、ストゼロさえあれば下流もまた楽しからずやになっているのが今の日本です。私もその一員でした。そしてそれに多くの人が共感するからこそ、「下流」が優良コンテンツになるのでしょう。
確かにそういうふうに意識低くまったり飲むのも楽しいです。それが永遠に続けば、ですよね。
ところがそうじゃない。アルコールの場合、必ずアル中という陥穽がパックリ口を開けて待っている。ここが問題です、やっぱり。下流ストゼロまったりライフは、やがてまったりが地獄になるという点で、19世紀の清のアヘン窟(参考「ストロングゼロは貧者の核兵器にもなり得る、恐ろしい戦略物資ではないかという仮説」)や18世紀のイギリスのジン横丁(参考「「ジン横丁」に描かれた18世紀のイギリスに、今の日本があまりにも似てきていてヤバいんじゃないかという件」)みたいなものかもしれません。
だから『深夜特急』の沢木耕太郎氏のように、いつかは出立しなきゃいけないんですね(参考「『深夜特急』に描かれた「ハッシシ+安宿」が、現代日本に現出している件」)。