かつてなかったほど「自分で考えること」を要求される社会状況。まったくもって酒飲んでる場合じゃありませんよね。

酒やめて、1678日。

メディアの迷走が意味するところは……

菅首相が辞任するそうです。正確には辞任ではなく任期満了→次期総裁選出馬せず、ですね。にもかかわらず、メディアは辞任だ逃亡だと騒いでいます。コロナ蔓延は菅のせいだあ〜としてきた身としては、追い込んだったで~てな気分なのでしょう。が、調子に乗りすぎて、今やめるのは無責任だ論まで展開しています。

自分らがやめろやめろゆーといて何なんやという感じですね。あまりにも自らのイデオロギーや世間扇動やスポンサーの意向といったことを優先しすぎた結果、自己撞着に陥ってしまったかたちであり、真実を伝えるという本来の目的から大きく逸脱しているのは誰の目にも明らかでしょう。

で、まあ、とにかくメディアは信用できない、と。そしてコロナ禍の今となっては、そんなメディアに振り回わされては命にかかわります(たぶん)。

ではこの危機にあたって何に基づいて行動すればいいかというと、やっぱり自分で考えて、しかないわけですよね。

いや、そもそもコロナ禍云々以前に、社会構造そのものが劇的に変化していますので、自分で考え自分で判断することが、自分の将来に大きく関わるようになっています。自分で考えることと自分の運命の相関性が、戦後最高と言っていいほど高くなっているのではないでしょうか。それをほんとにひしひしと感じますよ。私のようなもう先が見えてるジジイでさえそうなのだから若い人はもっとだと思います。

酒はなんでああも「自分で考える」を邪魔するのか!?

で、この「自分で考える」を徹底的にスポイルするのが、いつもの結論になりますけれども酒ってやつです。

私個人にしても、本当に今、酒を飲んでいたら、いったいどうなっていただろうと思いますよ。悲惨な結末しか思い浮かびません。コロナから命を守るという観点からも、将来に対する展望からも、です。

とにかく、飲酒習慣があると「自分で考える」とは無縁になります。これまた私の個人のことで恐縮ですが、飲酒時代、酒を飲んでない時間に考えることといえば、だいたい「酒飲みてえ」でした。これはアル中だったからというのもあるのですが、ただそこまでいってなくても、飲酒習慣があると、結局のところ酒というものにアディクトしてしまいます。そうだ酒があるやん! てな感じですよね。そして、ままままままままとりあえず酒飲んでから考えよう(→で、結局考えない)になります。

ただし繰り返しますが、酒を飲んで考えることを放棄するのは、自分の将来をスポイルしていることに他ならないという時代に、ついに突入してしまいました。今は、自分というものを取り巻く状況があまりにも複雑すぎて、その一方で、冒頭にメディアの話を書きましたが、指標とするもの、参考にすべきものが何もないのです。

さらには、会社にも社会保障制度にもディぺンドできない。そうした中で酒という最悪のディぺンド先だけが、わいがここに居るでえええと誘っている、というのが今の世の中ですよね。やっぱり酒飲んでいる場合じゃありません。

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