酒やめて、3137日
サーフィンを続けるための絶対条件になっておりまして
今年の夏は仕事が少なく、それはそれで問題なのですが、そのような事情もあって海行きまくり、サーフィンしまくりでした。毎週、泊まりで行ったほか、2泊3日のプチサーフトリップも二度ほどできました。こんなのは、それこそ合宿をやっていた学生時代以来のことかもしれません。
そんなふうにできたのは、私が扶養義務を終えたぼっちジジイであり、また酒を飲まなくなって、サーフィンすること以外に一切贅沢をしておらず、生活が極めてミニマムになっているからでもあります。
で、思うのは、やはりこういう生活をいつまでも続けたいなあということです。
以前も書きましたけど、サーフィンを続けるには、酒を飲まず、筋トレを毎日することが条件になり、それは湘南レジェンドが言っているところで私も信奉していますし(参考「自分が好きなことをするためには取捨選択しなければならない、その中で酒をどう扱うか、ということですよね」)、むろん体験的にも明らかです。
そして今では、サーフィンは私にとって単なる飲酒の代替行為ではなく生きがいであり、断酒と筋トレはそれを行うための前提条件となります。
「楽しむため」が大きなモチベーションになるのだった
このあたりの事情は、登山など他のスポーツをしている方も同じでしょうし、また私がX上で勝手に断酒仲間でさせていただいている方の中には、小説などの創作をしている方もいらっしゃいますけれども、そうした方にとっての断酒の切実さはもっとだと思います。余計なお世話だから。
というのは、創作を続けるためには脳を劣化させてはならず、そのために断酒は前提条件を超えて絶対条件になるからですね。昨日も触れましたが、脳にとって酒が絶対悪であることは、認知症の父の関係でお世話になっている脳関係の医師が口を揃えるところです(参考「「俺も飲まないから」最強説」)。
さて、私のように低年金で「死ぬまで働け」を余儀なくされる人間は、仕事を続けるという意味でも、飲まずにこれ以上の脳の劣化を避けなければならないのですが、ただ、仕事というのは生きていくためのものです。むろん断酒当初はこのことが大きなモチベーションとなるというか、酒やめないと仕事も詰んでしまうという切実さがありましたが、子どもが独立し、いつ死んでもいいといった境遇を手に入れた今となっては、「生きていくため」は、あまり大きなモチベーションにならないことに気づくのですね。
もっと大きなモチベーションはやはり人生を楽しむためであり、私の場合、その方策がサーフィンですけれども、創作をされている方は、「楽しむため」が、人生を「有意義にするため」に進化(?)しているのではないか。そして、この辺のことと、飲酒のトレードオフ関係というのは、かなり強力なのではないかと勝手に推測する次第でございます。
原則として火曜日と金曜日の19時に更新しています。
カテゴリ別インデックスページはこちらです。