最底辺だからこそ見えていた、アル中という底辺のなかのヒエラルキーの超くだらなさ。

酒やめて、1092日。

ストロングゼロを割り剤に使う最底辺な飲み方!

一昨日、ストロングゼロマウンティングする人々(参考「ストロングゼロは飲んでない!」で一線を引いてしまうことの危険さ」)について書かせていただきました。これに関連して、アル中業界あるいは過飲酒業界には、ヒエラルキーというものがあることを私は訴えたいのであります。

どういうことなのかといえば、「俺はあいつみたいにアル中じゃない→だからまだまだ飲んでいても大丈夫→いよいよあいつみたいになったら断酒してもいい」という考え方が、アル中者の間で横行しているのですね。

私自身は一昨日も書いたように、キンミヤ(甲類焼酎)をストロングゼロで割って飲んでいたような人間です。ストロングゼロは底辺の酒――底辺汁と称されますが、そんなストロングゼロをこともあろうに割り剤に使っていたのですから、まあ最底辺ですね。

そうした最底辺として、普通の「底辺」たちに飲む理由を提供してあげていたんですから、一周回って神と言ってもいいほどです(笑)。

自己正当化は自分本来の人格まで毀損してしまう!

アル中、アルコール依存症は否認の病気だといいます。自分がアル中じゃないことを、やたらアピールしたがります。そのアピールのために、周囲にいる、自分よりも程度の酷い(と思われる)アル中を使うのですね。

まさに目くそ鼻くその世界です。あるいは、顔にマタンゴが生えている人間が、俺はまだマタンゴになってねーぞと主張し、もうすでにマタンゴになってしまった人間を笑うというパターンです(マタンゴを知らない方は参照「あなたの顔から生えているマタンゴ、他の人に見えてますよ!」)。

ただ、私も最底辺ながら、この底辺たちの気持ちはものすごーくよくわかります。なんとかターゲットを見つけてそいつよりはマシだと認定することで、自分の飲酒を正当化したいのです。涙ぐましいです。

ただし怖いのはですね、そういうことをやり始めると、本来持っていた自己の人格まで毀損してしまうということなんです。アルコールは、このブログでも書き連ねているように、酔っている時だけじゃなくて普段の自分まで変えてしまう。

たとえば私の周囲には、酒をやめた私に対して、わざわざ「俺は楽しく飲んでるよ」と、いまだにマウント取ろう(?)としてくる人間もいます。で、私も飲んでいた頃は、同じ飲酒者同士ですし、仕事の先輩として尊敬もしていたけど、酒やめてからそういうこと言われると、ああ、こいつマジくだらねー人間になってしまったなあ、とやっぱり思うわけですよ。それは私だけでなく、たぶん他の人にもわかるでしょう。

繰り返しますが、そんなふうに“普段の”人格を下劣にするのが、アルコールってやつなんです。

きれいに生きるために酒やめようよ、てことですよね。

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