「人の倍働け」が再び価値を持つ時代に、やっぱり酒も飲んでいる場合じゃないす。

酒やめて、2278日

組織のために「倍働け」ではなくて

タイトルの「人の倍働け」ですが、高度経済成長時代からおそらくバブル時代くらいまで、こうした言葉が価値を持っていたと思います。「倍働け」の結果、組織の中で偉くなったりお金が稼げたり、ということですよね。

以前も書かせていただきましたが、「24時間働けますか」というCMも話題になったりもしました(参考「「24時間働け」が現実になってしまった。やっぱり酒飲んでる場合じゃないです」)。

ただしその当時の「倍働け」は、自分の時間を組織に対して提供することを意味していました。倍働けば収入も倍になるし、出世スピードも倍近くなるということだったと思います。当時はそれだけ組織という存在が「応えてくれる」ものだったのです。

でも今は違いますよね。組織の中で「倍働け」は単なるブラック労働ですし、組織もそれに応えてくれるようにはなっていません。単純に自分の時間をお金と交換され、場合によっては交換すらもされなくなっている。

時間さえあれば自分のために何でもできる

そうしたことを前提に考察(?)すれば、今は高度経済成長時代からバブル時代までとはまったく違う意味で人の「倍働け」の時代です。このブログでもよく話題にしますが、ICTあるいはAIを背景とした作業量勝負の時代なのです。

繰り返しますがそれを組織のためにやっては、いわゆるITブラックになってしまう。だから作業量勝負は、自分のためにするものです。

一昨日「私のような人間にとって、断酒は能力の低さを補ってくれる武器でもある」といった話を書かせていただきましたが、今は凡才でも作業量勝負で優秀な人に肩を並べることができる。感性などというあやふやなものよりも、ICTベースで作業量勝負すれば、結果が出せるということですよ。

YouTubeの世界は詳しくありませんが、おそらく結果を出しているのは、マメで几帳面で凝り性の人でしょう。ズボラ系コンテンツでもそうだと思います。ブログにしても、きちんと統計を調べてそれに基づいた記事作成をすれば全然違うといいますよね(このブログは全然できていないが)。

ともあれ、今はICTインフラが整っていて、時間さえあれば何でもできる感が強いのです。といってもなかなかできないんですけれども、自分のことを棚に上げれば、勉強にしても副業にしても、そしてちゃりんちゃりんシステムの構築にしても、とにかく時間をかけて作業することで勝負できます。

ということは、酒を飲んでその時間を毀損するのは超絶もったいないのですよ

人類は酒で非常に多くの時間を失ってきました。あるいはそれは為政者の意向だったのかもしれません。ただ、もうそういう場合じゃない。

「倍働け」の意味が、今までとはまったく違った意味でクローズアップされている今、断酒erは進化した人類ということにあいなるのです(自己都合)。

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