「みんな飲んでるから」「あいつはアル中だけど俺はそうじゃない」は、要は自分の人生を他人任せにしているってことですよね。

酒やめて、1974日。

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Twitter上の断酒仲間に気づかせてもらったのだった!

私がTwitter上で勝手に断酒仲間認定させていただいている「MJ@断酒で人生好転中!」さんがめちゃ素晴らしいことをツイートしていたので引用の上、このことについて書かせていただきたいと思います。要は他人のふんどしで相撲を取る状態なのですが(汗)、ただどうしても書きたい、書いておかねば―! という使命感(?)にかられたので。MJさんのツイートは以下のようなものです。

・あの人に比べれば自分はまだマシ

・まだそこまでいっていない

・まだ大丈夫 って思っちゃうんですよねー

だから何を言われようとも他人事となり、気がついたら取り返しのつかないことになっているという… そういう未来が見えたので断酒という選択をしたのは大正解だと思っています。

MJさんがご指摘の通り、飲む理由を他者に転嫁するのはよくあるケースですよね。酒を飲むにあたって、①みんな飲んでるから、あるいは②あいつはアル中だけど俺は違うからといったことを言って飲む自分を正当化する人は多いです。私もまったくそうでした。ただ私の場合、②における「あいつ」だったので②の理由はさすがに使えません(典型的な「おまゆー」で突っ込みどころ満載になる)が、①はよく使っていました。

でも、酒を飲む飲まないというのは、今の世の中を考えると、人生設計に大きな影響を及ぼすことだと思います。人類は、飲む人飲まない人に分化していく……といったことはいつも書かせていただいていますが、それを大げさというのなら、やっぱり酒は時間とお金とエネルギーを奪うので、そこでa折り合いをつける人生にするのか、bそれから解放された人生にするのか、の選択になります。そしてaかbかといえば、「aだ( -`д-´)キリッ」な人も多いでしょうが、これはかなり(余計なお世話ながら)難度の高いオプションでありまして、cという第三の道に堕ちるリスクを当然ながら抱えてしまいます。

で、言いたいのは、そのように大切なことを「他者基準」で決めてしまっていいの、ということですよ。そりゃ宇宙人であるところのウルトラマンも驚きますよ。

他者基準になんの意味もなくなってしまった!

今までの地球では、とくに日本では、「他者基準」の判断がある程度実効性を有していました。ただし私などは、同調圧力を自分の判断基準にして生きて来て、ずいぶんとしんどかったしいろいろ失敗もしました(参考「酒による「ねばならない脳」に同調圧力が加わると、かなり強力な人生破壊兵器になるという件」)。

今は、社会が大きく変わっていくなか、自分で判断していくことが重要になっていますよね。ロールモデルがない時代だから自分で考えなきゃいけない。

そのように前提すると、飲酒という重大事を決めるにあたって他者を基準にする怖さがわかろうというものです。

飲むにあたって、まあ誘われたら仕方ねーよ、みたいな理由もつくでしょうが、自分を誘ってくる人と自分の置かれている状況はまったく違う、たとえそれが同僚でも、という世の中ですからねー。

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