酒やめて、2202日。
「アル中になる自由」がある人間が同世代にいた!
先日、断酒友と申告のことでちょっと電話で話していたら、唐突に話題が転じて、親ガチャ親ガチャと若い衆は言うけれども、我々世代にも親ガチャはあるよねという話になりました。
どういうことかというと、そろそろ親が他界し遺産相続ということがクローズアップされるからです。そして我々の周りにも、億単位で遺産相続する人間がいます。
その彼とは、今まで同じような仕事をし、ときには仕事でチームを組み、そして同じように飲んだくれていて、当然、やつも「老後の資金が足りません」状態だと思っていたところそうじゃなかったのですねー。親ガチャ上級国民であることがここに来て判明したのです。親から十分な遺産を受け継げば、それを自分の老後資金にあてられます。ということは、まあアル中になる自由があるわけですよ。十分な社会保障を受けられる親世代と同じように。
我々世代は国の社会保障は心もとないけれども、その中にも、親ガチャゆえにアル中になる自由がある人間がいるのです。
なにを当たり前のことを、と思われるかもしれませんが、ここにいたってそのことに気づいた愚か者がいますよ、てなわけです。
「飲んでる場合じゃない人ほど飲んでいる」には理由があった!
さて、件の「親ガチャ上級国民」について、長い付き合いでエエトコの子なんやろなということはわかっても、当然ながら、遺産がどのくらいかなんてことは知らなかったのです。
でも実際のところとしては、彼と一緒に飲んでいたときも、その時点で、かたやアル中になる自由がある人間、かたや飲んでる場合じゃない人間と、明確に分化していたのですよ。
そうした真実(?)も知らずに、あいつが飲むから俺も飲むというふうになっていたところが悲劇であり喜劇でもありました。
とまあ、こういうところにも「飲酒格差」があり、飲むか飲まないかは自分で自分の置かれた状況を判断して決めなきゃいけない、その一局面があるということですよね。
ただし、であります。現実には、飲んでる場合じゃない人の方が飲んでいるケースが多いのです。それにはもちろん理由があります。「飲んでる場合じゃない」自分の状況から逃げるために酒さんが必要になる。そして酒を飲むとますます飲んでる場合じゃなくなる。だからますます酒を飲みたくなる……。という酒さんの巧妙な戦略なのですねー。
でもって一昨日、「「お前はアル中だ! 脳が萎縮してる」とヘイトされ続けた男が感じるLGBT法案の「もやもや」」といった話を書かせていただきましたが、私に対して常々「お前はアル中だ! 脳が萎縮してる」と言っていた輩は、先のアル中になる自由がある親ガチャ上級国民にも、同じことを言っているのですね。
そしてそう言うご自身は、自分は適正に飲める、自分は飲酒をコントロールできると言いながら飲んでいるわけです。そんなこととは関係なく、客観的に見て飲んでる場合じゃないのに、です。余計なお世話ですが。
飲んでる場合じゃない人間が、アル中になる自由がある人間に対して「お前はアル中だ!」と指摘する。このエピソード(?)はなかなか寓話的であり、寓話であるからにも教訓もあるということです。なるほど、この世は神の啓示に満ちている……と「圏外」からエラソーにつぶやきたくなる断酒者なのでありました。
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