ああ街の灯りが俺を呼んでいるダウンタウンにくり出そう的な感覚は、いったい何だったんだろうと思う夏の黄昏どき。

酒やめて、1260日。

「これから飲み行くぞ」のときの高揚感といったら

酒飲んでいた時代は、当然のごとく夕方になると気もそぞろでした。なんだかこの後、とてつもなく素晴らしいことが待ち受けているんではないかという思いがむくむくと持ち上がってきました。そして「ダウンタウンへ繰り出そう」でした。

こんな感じです(シュガーベイブ「ダウンタウン」)。

まさに、ブギウギブギウギですよ。

でも素晴らしいことが待ち受けていたかというとたいていはそんなこともなく、飲んでへべれけになって記憶なくして翌朝後悔というのがまあいつものパターンだったんですけどね。

しかも仕事が終わってないのに出かけていたりもしたので、翌朝早起きして仕事を済ませなきゃならないときの焦燥感や能率まったく上がらない感は半端なかったです。

つまり、素晴らしいと感じるのは、さあこれからお出かけしようというその一瞬だけです。

酒を飲むということは、そうしたいっときの高揚感と引き換えに、生活や仕事をぐじゃぐじゃにするってことですよね。なにを今さら、ですけど。

人生にブギウギなんて必要ない!

もうすぐ梅雨明けで、季節は「七色の黄昏」ですよ。ただ、今は、正直言って出かけるのもめんどくさいです。

いつも書いてる通り、お腹いっぱいになってベットに潜り込んでいます。9時ぐらいに。仕事でも、夜電話がかかるなんてことは今やよほどの緊急時以外ありません。幸いなことに世の中のおっさんたちにも、電話はマナー違反、あるいは自らの無能の証明、みたいなことがここに来て浸透してきています。

それでゆっくり本読んだりお笑いのYouTubeを観たり、あるいはLINEしたりと、まったくまったりと時間が過ぎていきます。

慣れてしまえばそれで全然いいのです。街は俺のことなんかそもそも呼んじゃいないんですよ。呼ばれたと感じていたのは、大きな勘違いでした。

で、まったりと酒なしで過ごして眠くなったら寝るわけです(参考「睡眠は断酒の、断酒は睡眠の、最高のパートナーだという話」)。

そして今思うのは、じゃあ人生に本当に「ブギウギ」が必要だったのかということですね。いや、必要な時期もあるのかもしれないけれども、昔の私のように、いつまでも必要としていたら馬鹿です。あるいはそれは、ある特定世代の左翼思想と同じく、若いときの熱病みたいなものなのかもしれません。そのまま大人になったらただの馬鹿、というわけですね。

人生はブギウギよりも淡々あるいは坦々総称してタンタンですけど、そうやって生きていったほうが幸せ、かどうかは人によって違うけれども、上手くいくということは万人に共通しているのかなあ、と思ったりもする、タンタンとした断酒者の日常でございます。

しかも翌朝は、プランクさえすれば自然と気分が上がってきますからね。その感覚というのは本当に飲酒時代にはなかったものです。酒やめて手に入れた大きな財産の一つだと思いますね。

にほんブログ村 酒ブログ 禁酒・断酒へ
にほんブログ村

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする